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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2023年7月8日土曜日

駿遠線を初めて訪問した頃。

1963年春、その正体がよく分からなかった静岡鉄道駿遠線を初めて訪問した。DB機関車が大活躍していたのが驚きであった。そんなネガの隣に写っていたのが東急東横線であった。 

撮影:1963年4月

DB機関車が牽く列車が次々やって来た駿遠線袋井駅。


袋井駅のDB機関車が牽く列車。


その頃の東急東横線 多摩川園前。


東急荷物電車 木造デワ3041


東急碑文谷工場ののデワ3001


この日の最後が二子玉川園で終わっていた。

7 件のコメント:

jha141 さんのコメント...

玉川園 数度行ってますが オリンピックの頃かその後か 二子玉川園は良く行きました。

katsu さんのコメント...

jha141さん
すみません玉川園を多摩川園に訂正いたしました。
二子玉川園と多摩川園が混乱しうっかりしました。

子供の頃は二子玉川園の方が馴染みでした。
多摩川園は馴染みが無かったです。
子供の頃の遊園地がどんなに楽しかったか、
しっかり記憶に刻まれますね。

jha141 さんのコメント...

そうでしたね多摩川園 近くに 田園コロシアムと言うのが有って殺し屋が居ると聞いてましたが テニスの有名な場所だと中学生の頃に知り 自転車で丸子多摩川に釣りに行きました ジャイアンツの練習場も有りました。

Cedar さんのコメント...

駿遠線でなく東急の投稿ですみません。木造デワが真新しい高架を行くシーンが気になってしまいました、撮影場所は都立大学でしょうか?

katsu さんのコメント...

Cedarさん
これまでこの場所は全く不明でした。
ただ碑文谷工場の次に写っていたので言われてみると都立大学かもしれません。
すぐ先に見える立体交差が目黒通りかも?

Cedar さんのコメント...

再コメ失礼します。架線柱のカタチ(またそこ?)と斜めに渡るのは目黒通り、奥に見える跨線橋はおそらくまだあるのでは?と思います。それにしても緑が豊かですねえ。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
Googleで現在を見てみると、写真に見えた奥の跨線橋が今も同じカタチで存在していますね。
この写真は都立大学の駅から撮ったものに間違いないようです。
お陰さまで60年後に撮影場所が判明しました。