案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2021年9月14日火曜日

尾小屋の蒸機運転会。

 頸城を撮ってから午後に向かったのが東洋活性白土、そして尾小屋鉄道の終点夜の尾小屋であった。


超有名な東洋活性白土のミニ蒸機。2フィーター蒸機が現役で働いている夢のような世界があった。1970.11.2


翌朝は秋晴れで尾小屋駅で撮り始めた5号機。1970.11.3


朝の尾小屋駅に大勢の蒸機ファンが集まった。
皆で撮った記念写真のお名前を数十年後に知って驚きの人が何人も。


一往復した5号機運転会。 観音下-倉谷口


観音下の日常風景。日産ブルーバード510の時代であった。


尾小屋駅で休む5号機。


駅舎と周辺の木造建築が何とも味わい深い。


4 件のコメント:

U-BOAT さんのコメント...

こんにちは。尾小屋の5号機はまだ保存されていたでしょうか。
私にとっての軽便鉄道乗車経験は四日市あすなろう鉄道と三岐鉄道北勢線と下津井電鉄児島―下津井間でした。晩年の観光鉄道に生まれ変わろうとしている姿はむしろ集客できなくて苦しんでいるようにも見えて気の毒でした。
一般的なお客さんを集めるにはこういうスタイルになるのかな?とも思ったのですが、廃止になった時はもう少し鉄道ファンの意見も取り入れれば良かったのにと思ったものです。
先日下津井駅を訪問しましたが、車両は比較的きれいな状態でした。下電さんも創業部門だった鉄道を今でも大切にしているような気がして、ボランティアのみなさんが車両を触るのを許可しているようですね。
これまた妄想が入るのですが、本線に入れなかった下松弁慶号を復活させるくらいなら尾小屋5号機と井笠鉄道の客車を入れて、鷲羽山周辺の勾配対策で補機としてモハ1001を後部から押してあげる観光列車を作れば大井川鉄道みたいに集客できたのかなと妄想している真っ最中です。

katsu さんのコメント...

U-BOATさん
尾小屋鉄道の車両は幸せでよく保存されていますね。
5号機も尾小屋鉱山資料館の隣で大切に保存されているようです。
下津井電鉄の車両も保存活動が活発なようで嬉しくなります。
下津井の廃墟のような状態からここまで大変な努力だったと思われます。
琴海から下津井間だけでも現役時代を再現できたらどんなに楽しいことか。
あの瀬戸内海を見て走る絶景は下津井電鉄の宝です。

esehoku さんのコメント...

こんにちは。
東洋活性白土は、石川県へ向かうキハ82時代の特急はくたかの車窓から一瞬見えて「えっ?」と思った記憶があります。
当時小学3年生で予備知識もなく、一体何の線路なんだろうと思いました。
ずいぶん後から貴重さを知ったのですが、時既に遅しでした。
観音下の画像、キハ1は当然ながら原型ですね。
当時の画像を見るたびに、なかよし鉄道のあれ、原型に戻してほしいといつも思います。
動態保存というだけでとても貴重だとは思うのですが…

katsu さんのコメント...

esehokuさん
こんにちは。
私も北陸本線の列車からこの2フィートの線路を初めて見ました。
その数年後に車窓から写真を撮りました。
そして始めて見た感動から8年後に東洋活性白土を訪問でき、
信じられない世界を見ることができました。
この頃は多くの人が訪問し有名になりましたね。
観音下で撮った尾小屋のキハ1は私もそう思います。