案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2020年7月28日火曜日

奥山線 気賀口~奥山間廃線の直前

これもストロー状となった末期状態のネガを最後のスキャンをしたものです。
再スキャンするたびに画素数を高めて行くので果てしない作業となり、どこかで欲を捨て妥協せざるをえません。

1963年4月30日で区間廃線(気賀口~奥山間)の最後の頃です。

撮影:1963.4.4
 曳馬野から牽いてきた客車をここで切り離し奥山へ向かうキハ1804。気賀口


奥山-中村

 日中1往復のみの列車は左にカーブすると奥山に到着する。

桜満開の奥山駅で発車までの静寂。

奥山から戻って来たキハ1804はキハ1802を連結し曳馬野へ。この先右へカーブした線路は奥山までつながっていた時代。 気賀口

4 件のコメント:

モハメイドペーパー さんのコメント...

 F島模型製作所で風間さんと出会ったのがきっかけで奥山線の存在を知り、この1年後に訪問しています。雨に降られて沿線での撮影はできませんでした。金指から先は乗客が少なく、回送列車同然でした。


katsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
この奥山線へ行った翌年の1964年春にF模型さんのアルバイトでご一緒だったのですね。
東京オリンピックの年で科学技術館オープンの4月1日に向けて展示レイアウトの製作が真っ盛りでした。アルバイトの作業はこの現場と練馬工場で何をしていたのか克明に記録が残っていました。3月末までこのアルバイトをやって、すぐ栃尾線と奥山線の撮影に飛び出しました。

アルバイトは休んでばかりの私でF模型さんには随分迷惑かけてしまったと思います。この1963~1964年は魅力の地方私鉄がふんだんに撮れた時代で青春時代に懸命に撮り歩いた苦労が50年後になってその全てが報われた気がします。

U-BOAT さんのコメント...

こんにちは。
奥山線は奥山半僧坊(方広寺)参拝のお客さんを当て込んで開通させた一面もあると思います。
半僧坊からさほど離れていないところに、現在も奥山バスセンター?(旧奥山駅)は残っています。ほとんど人気はないのですが。
現在は半僧坊に観光目的で訪れる人もそれほど多くないようで、入り口のお土産物屋さんは2軒くらい?しか営業していません。
神舎仏閣めぐりは昭和40年代までの観光だと思っているのですが、当時でももう半僧坊に列車で訪れる人は少なくなっていたのでしょうか?

katsu さんのコメント...

Unknownさん
奥山~気賀口間が廃線を迎える頃は奥山まで一日3往復しかなく、半増坊の客はバス利用になって過去の列車利用の時代はとっくに終わっていたと思われます。
その後まもなくマイカーの時代を迎え奥山のような土地は奥山駅跡のバス利用よりもマイカー利用がほとんど、これは半増坊に限らずどこも同じと思います。
かっての繁栄がこんな奥地にあったとは全く知りませんでした。
奥山は昔から開けていたところなのですね。