案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年9月24日火曜日

遠鉄二俣線の赤い電車

奥山線を初めて訪問した1963年、当時は遠州鉄道二俣線(現鉄道線)はこんな新浜松駅から発車していた。まだデビュー間もないモハ30形の真っ赤が強烈で、その隣にいたモハ11はこの後すぐ消えてしまったようだ。

撮影:1963.4.4
新浜松駅

新浜松駅

新浜松から二つ目の遠鉄浜松駅で奥山線と接続する。

二俣線の赤い電車。遠鉄浜松

二俣線の赤い気動車キハ803。遠鉄浜松

4 件のコメント:

にぶろく さんのコメント...

赤い電車以上に赤いキハ04が衝撃的です(笑)
なぜ気動車が?と思いましたが、
国鉄二俣線に乗り入れていたのですね。
有田鉄道や定山渓みたいな感じでしょうか。

Cedar さんのコメント...

新浜松〜遠鉄浜松は途中スイッチバックもあって、面白い街中写真が撮れたのに、電車で通過しただけなのが残念です。

katsu さんのコメント...

にぶろくさん
その通りで国鉄二俣線への乗り入れです。
過去記事の遠鉄二俣線で簡単に触れています。
この赤い気動車の兄弟が大宮の鉄道博物館で保存されるとは思いもよりませんでした。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
あそこは面白い区間でした。
懸命にネガを探したけど1枚も写っていませんでした。
当時、遠鉄3'6''路線には全く関心がなかったのが悔やまれます。