遠州鉄道から車体のみ購入したクハ1602と1603は、北鉄の手持ち台車を次々と交換して行ったようだ。車両竣功図によれば元々は日車D-16 軸距2200mmであったが、こんな極小軸距のブリルに履き替えた実にユーモラスな時代があった。
撮影:1964.12.29
加南線クハ1603のブリル 軸距1219
加南線クハ1603 山代
加南線のクハ1603(元遠州鉄道クハ) 河南-山代
極小軸距のブリルを履くと車体とアンバランスな台車で実に魅力溢れる電車となる。
大聖寺川を渡って草ぼうぼうの区間を行く。河南-山代
こちらは加南線モヤ503のブリルだが1ランク上?と推定される(軸距1473? )
11 件のコメント:
河南線の極小ブリルは、初期高速用27E-2と同じような構造なのが珍しいです。
改造なのかオリジナルなのか、こりゃ一度徹底的に調べてみたくなりました。
海外サイトをいろいろ調べると、ブリル27Fという形式のようです。阪神1形に使われた27Gの系列で、線路と並行のリーフスプリングを、イコライザに変えたもので27Eより軸距が短い。標準軸距は4ft.6in.ですが、それより短いのもあり、とかかれています。この台車か日本に輸入されたとは、知りませんでした。
下がサイトのリンクです。
http://www.cotma.net.au/library/brill/Brill-1913-27F.pdf
本当に、元遠鉄の大柄な車体に対して小ぶりですね。
加南線は、山中〜河南間は県道に沿って線路が敷かれていましたが、旧型車、殊にクハ1600は特に、草ぼうぼうの線路に埋もれるように走っているように見えたのは、こんなところにも原因があったのかなんて思ってみたりもします。
(走って…というにはあまりにもゆっくりでしたが。)
1603は最後までモハ3501と組んでいましたから、アンバランスさもひときわですね。
cedarさん
ブリル資料見ました。
確かにここでは27Fの軸距は標準サイズが4ft.6inで長短ありとなっていました。
軸距でブリルのタイプは決められないということですね。
、
私がみた資料では4ftは27Fのみでした。
どうやら軸距はニーズに合わせて各種サイズを対応できていたのでしょう。
ちなみに国内模型2社のブリル76Eは軸距(実物換算)が上記標準の4ft.6inでした。
esehokuさん
>加南線の山中〜河南間は県道に沿って線路が敷かれていましたが
よくご存知ですね。
草ぼうぼうの線路の写真を貼っておきました。
ありがとうございます!
私にとっては忘れられない思い出です。
その草ぼうぼうの線路の横の県道を、当時の性能の軽自動車が追い抜いていくほどゆっくりの電車でした。
画像は大堰宮の鉄橋を渡った辺りでしょうか?
esehokuさん、今の大堰宮の脇にある大聖寺川鉄橋を渡ったところです。
全く風景が変わりましたね。
モヤ503も1961年に鋼体化・ボギー化された後、1963年頃に台車を履き替えており、履き替えた後の台車軸距離は1510ミリのようです。これもモハ1800形のどれかの台車履き替えで捻出したもののようですが、詳細な経緯は不明です。
katsu様
「ムキを地で行く」モヤ503のブリル台車ですが、パンタ側のものは水掻きスポークか、或いは松葉スポークの車輪が用いられている様に見えます。
この台車がどの様な経歴を持つものか、興味を惹かれます.
代打山本さん
>モヤ503も1961年に鋼体化・ボギー化された後、1963年頃に台車を履き替えており、履き替えた後の台車軸距離は1510ミリのようです。
ブログのモヤ503は1964年12月撮影で、1963年の履き替え後なのでしょう。元遠鉄クハのブリルより少し大きい軸距の1510mmが納得できます。
transitさん
よく気が付きましたね。
モヤ503の台車をよく見れば車輪のスポーク形状がなるほど。
車輪がばらばらは、手持ちのふる~い車輪をブリルと組み合わせて使ったのかも知れません。
この頃の北鉄はまるで模型のような愉快な時代だったと思います。
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