昭和39年夏
終日曇天で落ち込んでいた仙北鉄道の撮影を終えた翌朝、相変わらず曇天の瀬峰を出発し国鉄を乗継いで尾花沢線が出ている大石田に向かった。この時はクリアな写真も天候次第と陽が出てこない空ばかり気にしていた移動であった。
東北本線小牛田での乗換えで、新庄行き陸羽東線は1時間ほど待ってやっと女川発の気動車がやってきた。超満員であったが大部分の客は降りてしまい席は楽にとれた。隣に白衣で杖をもった人が座ったがどうやら信仰の出羽三山へ行くようである。
広く続く田んぼをしばらく走ったあと急勾配を登ると山奥の鳴子についた。天気が悪くてガスをかぶった山々がかすんでいる。鳴子の駅で車内まで鳴子温泉の硫黄の匂いがしてきたのには驚いた。鳴子で2両を切り離し2両になった気動車は更に勾配を登り県境の峠を越えて下り坂となると一路新庄に向かった。
広く続く田んぼをしばらく走ったあと急勾配を登ると山奥の鳴子についた。天気が悪くてガスをかぶった山々がかすんでいる。鳴子の駅で車内まで鳴子温泉の硫黄の匂いがしてきたのには驚いた。鳴子で2両を切り離し2両になった気動車は更に勾配を登り県境の峠を越えて下り坂となると一路新庄に向かった。
平地が開けてくると前方の空が青く見えどうやら晴れているようだ。いやな雨雲は次第に遠のき待望の陽が差し込んできた時には堪らず歓喜。夏の強い日差しがギラギラ車内に入り込んできた9時3分 新庄に到着。新庄の空は雲もない青空でガンガン照りであった。
大石田に向かう準急まで時間があったので、新庄の駅前通りを歩くと土蔵造りの酒屋など昔からの佇まいを残していた。フードを買いにカメラ屋に寄ると応対に出てきた店員のメガネが余りにもよく似合っていて、こういう女性をメガネ美人というのだろう。
山形交通尾花沢線が出ている大石田までは新庄から準急に乗って20分ほどであった。
大石田に向かう準急まで時間があったので、新庄の駅前通りを歩くと土蔵造りの酒屋など昔からの佇まいを残していた。フードを買いにカメラ屋に寄ると応対に出てきた店員のメガネが余りにもよく似合っていて、こういう女性をメガネ美人というのだろう。
山形交通尾花沢線が出ている大石田までは新庄から準急に乗って20分ほどであった。
5 件のコメント:
古き良き時代の写真を楽しみながら拝見しております。
さて、この写真についてですが、細かいことを指摘して申し訳ありませんが、奥に機関庫が見えていますので新庄駅1番線、陸羽西線のホーム写真ではないでしょうか。
自分も子供の頃、父の実家が山形県・新庄市でしたので僅かながら記憶が有りましたので・・・・・
昭和の鉄道少年さん
ご指摘ありがとうございました。
私の思い込みでこれはとんな間違いで失礼しました。停車している気動車は陸羽西線ですね。
原画を拡大して見ると1番線の行先は余目、鶴岡、酒田。2番線の行先は横手、秋田、青森、
ということは1番線は陸羽西線のホームだったのですね。
レンガ造りの1~3番の機関庫からしても北へ向かって撮ったことが分かり、1番線へ陸羽東線が入る筈もありませんね。
地図を作る前は新庄から陸羽西線が出ていることに全く気づきませんでした。
こんばんは。
新庄には学生時代の思い出があり、駅のお写真を大変興味深く拝見させて頂きました。
私がこの地を訪ねたとき、ちょうど「山形新幹線」の新庄までの延長の工事が始まろうとしていたときで、ここを離れる日が在来線の運行の最終のタイミングでした。
その後、改めて訪ねたときには駅の変わりように驚きましたが、お写真にもあります煉瓦造りの機関庫は依然として風格たっぷりに健在でした。
駅西側にも貨車の停まるようなスペースがあったのですね。長いホームの南北が分断され、標準軌と狭軌それぞれに車止めが設けられた様子を見たときには複雑な気持ちになりましたが、平面でどの列車にも乗り換えられるように考えられた結果だと分かり、できるだけ便利に使えるように工夫しているのだと納得する気持ちも湧いてきたのが懐かしいです。
貴重なお写真を拝見させて頂き、ありがとうございます。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
風旅記さん
全国の動脈であった国鉄本線が新幹線開通によりブツ切りになりチマチマしたローカル線に転落してしまうのは時代の流れとは言え悲しいものです。華やかな列車が走った国鉄時代が懐かしくなります。
新幹線開業で新庄の駅は全く変わってしまったようですね。
長いホームが南北に分断され標準軌と狭軌で乗り換えるとは知りませんでした。
まるで連絡船乗り換えのようで在来線もずいぶん不便になってしまったことでしよう。
新庄駅のホームが南北に分断されおかげでそこに通路ができたため
乗り換えは便利になってます。
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