1963年7月夕方の有楽町.
また1967年の都心の風景に戻りますが、その前に「4年の様変わり」で1963年の有楽町の風景を1枚貼ってみました。この日は友の会の例会が終わって、これから夜行で松本へ向かうところで何となくカメラを向けたものです。
東京の光景などは余りに当たり前過ぎて都電廃止でもない限りまず撮ることはなく、フィルムが安上がりのオリンパスペンでさえカメラを向けることはありませんでした。珍しく撮った東京1963年の「当たり前過ぎる風景」を今になって見ると、東京1967年より遥かに興味深いものがあります。
日本橋1967年に引き続き中央通りを日本橋から銀座方面に向かってみます。華やかな中央通りは高度成長時代の躍動期(1965~)に入り、豊かになってきた日本を感じます。クルマもその殆どがこの4年の様変わりで近代的になったものです。
京橋 第一生命ビル前を走る都電1系統の優雅な風景
京橋 第一生命ビル
日野コンテッサはこの年で生産中止となった.
日本橋の高島屋や京橋の第一生命ビルの建築等はいかにもメインストリートの感じです。
京橋 第一生命ピルの前
銀座一丁目
8 件のコメント:
中央通りの都電風景、私はまともに撮っていません。京橋の40番、1100はとりわけ懐かしいです、私の住む文京区の端っこから銀座まで乗り換え無しで行けました。
不忍通りの古い街並みから不忍池畔の専用軌道、上野から中央通りに入ると都会に出てきた思いがしたものでした。
中央通りの都電、自分は見ていませんが懐かしさを感じます。
今、お写真に写っている京橋の第一生命館から書き込みました。
Cedarさん
中央通りはこの時代以降は余り変わっていないと思っていたら今の再開発で次々と姿を変えつつあるのですね。
chitetsuさん
京橋の交差点にあって一際印象的であった第一生命ビルは建替え三代目で今の姿になったそうですね。
そこにchitetsuさんがいらっしゃるとは驚きました。以前聞いていたかも知れませんがすっかり忘れていました。
ちょこんと立ち上がった新幹線の高架の脇を行く151系、20系客車、101系。
高度経済成長期の幕開けを飾る国鉄新世代車の揃い踏みは感慨深いです。
都電5501号も美しいですね。車内が改造されてはいるものの、荒川車庫で今も流麗な姿を見せてくれていますね。
影武者さん
池田内閣の高度成長政策がスタートして4年目、有楽町で夢の超特急の工事を見ながら退社時間のサラリーマン達の高揚ぶりは大変だった事でしょう。
この頃の私はまだ学生で消えゆく地方私鉄を追いまわす事だけで頭がいっぱいでした。
都電5500形はほんとうに美しいですね。登場して10年ちょっとで最後を迎えてしまい、この時は撮るだけで乗る事もしなかったのが悔やまれます。
こんばんは。
都電の話題からは外れてしまうのが恐縮ですが、1枚目のお写真を拝見しまして、私が幼い頃に見た微かな記憶の「国鉄」の原型が、お写真の頃には出来上がっていたのだと分かり、感慨深いものがありました。
旧型国電の時代まで遡ってしまいますと実感からは遠のいてしまうのですが、103系のようはいわゆる高性能電車の国電は(他の路線ではありますが)実際に乗っていましたし、ブルートレインの華やかさにも接してきました。新幹線も然りです。
今はまた、さらにそのあとの時代になっているのだと感じています。
そして、日本橋から銀座にかけての風景、都電の走る光景は、ただただ信じられないような気持ちになります。お写真の辺りにはよく出向きますが、今では想像もつきません。有楽町のお写真とは逆に、歴史が途切れて飛んでしまっているような感覚です。
興味深く拝見させて頂きました。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
風旅記さん
コメントありがとうございます。
東京オリンピック開催の前年で活気ある時代でした。
有楽町の新幹線工事はまだこれからでしたが、写真の翌年10月には開通しています。
凄いスピードだったのですね。
確かに国鉄の近代化の原型がこの時代にあったのでしょう。
そこからまた次の時代へ次々と発展してきた日本を見てこれたのは幸せでした。
私達年代にとって中央通りの光景などはこれが日本なのかと驚くばかり。
歳をとった証拠で悲しくもなります。
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