案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2020年12月26日土曜日

両国駅

田辺さんが撮った昭和38年から両国駅をアップしてみます。
この頃は地方に行かなくても上野、両国辺りでふんだんに蒸機が撮れた時代でした。


撮影:田辺多知夫氏 1963.6.8

DD13、クハ55、C58


蒸機天国の両国駅 C58、C57、8620






両国機関区


86の貨物列車


準急「内房」


準急「外房」

6 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

1963年というと、Cedarは小学校高学年、夏の臨海学校でここから内房の岩井まで、気動車で行った記憶があります、あれは準急だったのか、臨時列車だったのか~駅まで見送りに来た父親が、気動車の標記を見ながら各地からの寄せ集めだと教えてくれました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
この頃は臨海学校でしたか。
鉄ファンのお父さんがわざわざ両国まで見送りに来たのは蒸機を撮りに来たのかも知れません。
私にとって1963年は地方ばかりでこの千葉方面は銚子を除き全く行きませんでした。
両国ですら縁のないところで東京気近郊でこんな凄い駅があるとは知らなかったです。

モハメイドペーパー さんのコメント...

この時期、7~8月の夏ダイヤは蒸機牽引の快速が増発され、「かもめ」なんていう愛称が付いていました。気動車は秋のダイヤ改正に向けて落成したのを借入るもので、秋アキ、名ミオ、四カマなど各地の所属標記が見られました。駅前の広場で乗車待ちとなるので、ヨシズ張りの日除けもできていました。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
夏シーズンはそんな素晴らしい蒸機の快速があったのですか。
夏の房総へ向かう客で両国の駅前が賑わったわけですね。
シーズンともなると上野駅や新宿駅にもあったあの乗車待ちの列が懐かしいです。

イワキ鯨川 さんのコメント...

小学時代、千倉に寮があって夏はそこで臨海学校がありました。
当日は朝5時起きで両国へ。両国発の蒸気列車で4時間くらいかけて
舘山着。千倉までは気動車でしたね。帰りは千葉で国電に乗り換え
東京へ。当時の千葉駅地上駅はなかなか広く、屋根なしの跨線橋から
構内を見るのが好きでした。

katsu さんのコメント...

イワキ鯨川さん
千葉の海に行くときは皆さん両国へ行ったのですね。
私はまったく知りませんでした。
この写真の昭和38年に私は何故両国に撮りに行かなかったのか不思議な気がします。
遡って小学生時代にしても千葉方面は縁がありませんでした。
臨海学校で千倉まで向かう列車の旅が楽しそうですね。
きっと良い思い出になったことでしょう。