これも田辺さんが1965年に撮った1枚の写真。
東横百貨店西館屋上からみた営団地下鉄銀座線の検車区.1965年12月 撮影:田辺多知夫氏
東急玉川線と井の頭線の線路が並走している。今はこの検車区と玉川線の跡がすっぽり渋谷マークシテイのビルの中に納まっている。地下鉄検車区は何本か整理されたようだ。
上の田辺さんの1枚は現東急東横店西館の屋上から撮影された。2020.8.15
吉永陽一さんの写真展「空鉄うつろい」渋谷駅10年間の上空観察より。
渋谷マークシティ(エクセルホテル東急)のビルから現東京メトロ銀座線の電車が顔を出している。
2013年2月作成
渋谷駅へ下る玉川線の専用軌道. 1969.04.22
この写真の2年前に商号変更で東横百貨店は東急百貨店東横店となり、玉電の渋谷駅の終端は東横店西館の中に入っていた。写真に見える東横店南館はまだ建設中で翌1970年に完成している。そんな東急東横店が電車の背後に見える.
10 件のコメント:
渋谷駅界隈、劇的なまでの変貌ぶりですね。
営団地下鉄銀座線の車両は、オレンジ色の2000系でしょうか?
esehokuさん
空撮の写真は渋谷スクランブルエリアのビルが建っているので最近の写真です。
オレンジ色の電車が地下鉄銀座線で現在の1000系です。
渋谷再開発のビルは覚えきれないくらい建ち並びもう名称が分からなくなってきました。
私も行けば迷子になるでしょうけど再開発の一角に近づくことはまずないでしょう。
子供の頃の家族のイベントと言えば、バスで渋谷へ出て、
東横デパートで買い物をして、大食堂でごはんを食べて、
帰りはなぜか玉電で家へ帰る、というコースがメインでした。
銀座線の俯瞰写真はまさにその頃の景色そのものです。
いい写真をありがとうございました。
こんな魅力的な地形をビルで埋め尽くし、息苦しい街にするのが再開発とやらの実態ですね。同じくなるべく近つかないようにします。
イワキ鯨川さん
子供の頃の家族のイベントは私も同じです。
私の場合は小田急に乗って新宿のデパートに買物に行くことでした。
小田急の電車に乗るのが嬉しくて堪りませんでした。
あの俯瞰写真の頃、私は通学で渋谷で乗換えていました。
あの頃なんでこの俯瞰写真を撮らなかったのか?
地下鉄に興味なかったのかも知れません。
Cedarさん
先日久しぶりに写真展で渋谷へいきましたが元東急プラザ渋谷の前を通って迷子の状態でした。
一つのビルに今風の名前がいろいろついていてそれが次々とオープンする、
とても覚える気もありません。
昔の渋谷を知らない若い世代が街の客になり、
昔の渋谷を知る昔の人は渋谷から消えて行く、
再開発と同時に渋谷に来る世代も新旧入れ替わって行くのでしょう。
小田急沿線に引っ越し、ますます渋谷とは縁遠くなった上、「テレワーク」で自宅からPC通信で職場とやり取りといった日々が続くと、もはやその姿を一変した渋谷は昔の景色ばかりしか思い出せなくなってしまっています。非常事態になる前、六本木で開かれていた「天空の鉄道展」の帰り、その六本木ヒルズから直通バスで渋谷駅まで乗ったのですが、周りは工事中の白い仕切り板ばかりで、駅の改札までたどり着くのに迷子になりそうでした。渋谷駅の一連の改造で便利になったのは、埼京線・湘南新宿ラインと山手線との乗り換えが近くなったくらいで、井の頭線から山手線に乗り換えた時は、乗り換え通路が恐ろしく長くなったように感じました。
「玉電」が渋谷駅から道玄坂上に出るまでの専用軌道の急坂は、渋谷から出発して坂を上る時も、渋谷へ降りて行く時も、横目で見える銀座線の黄色い電車の姿と共に、ある種の「心のときめき」をいつも感じていたのでした。写真に出ている70型は、世田谷線にも生き残りましたが、その後の魔改造で「野武士」の風貌を失って80型もどきに化け、その後下回りも吊り掛けではなくなって、ほとんど魅力を感じなくなってしまったのは残念でした。
東横デパートの南館から東急文化会館の方向は撮っていますが、地下鉄の車庫はノーマークでした。車庫の中とはいえ、かなりポイントがきついですね。
伊豆之国さん
私などは渋谷で乗換えなどしたら完全に迷子です。
行くたびに変わっているのでよそ者は受け付けないですね。
コロナで世は変わり、さてこの先この凄まじい再開発の完成後はどうなるか。
きっと異次元の世界になるのでしょう。
昔の渋谷や玉電の電車の話ができる人も少なくなっていき、
やがて思い出話も世から消えていくのではないでしょうか。
モハメイドペーパーさん
田辺さんはよいポイントを見つけましたね。
現在のビル内の検車区はこの写真の昔の線路配置とはだいぶ違うようですね。
1~7まで線路はないと思います。
検車区の内部を動画で見ると延々と線路が続きまるで「鰻の寝床」でした。
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