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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年10月15日水曜日

オリンパスペンSで撮った京都市電1

東海道新幹線がまもなく開業する年1964年の夏の京都市内はこんな風景であった。
大通りの古いビルもどんどん建替えられているようであった。
京都市電を撮るのに35mm判フィルムでは勿体なく、オリンパスペンSで撮ったのが反って良かった。

 京都市内にはまだボンネットバスが走っていた.1964.07.10

 軌道がある大通りでは祇園祭りの準備が.


四条烏丸の交差点


三和銀行の前を行く大通り風景 四条烏丸

10 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

山鉾巡行に備えて、市電の架線がスパンワイヤーでなく、片持ち式のビームになっていたのは記憶にあります。撮影場所は四条通りでしょうか?

katsu さんのコメント...

Cedarさん
さすがですね!
そう言われると確かに架線が片持ち式ビームになっていますね。
私は気が付きませんでした。
場所は四条通りだったと思います。
この他にも市電はいろいろ撮っているのですが場所が全く判りません。


chitetsu さんのコメント...

オリンパスペンで撮った電車と街の風景、良いですね。
きっと当時は邪魔であったであろうボンネットバスや自転車のおじさんが良い味出してますね。
モデラー視線で見ると、このおじさんの服装も当時の風俗が分かって参考になります。

常夜燈 さんのコメント...

函谷鉾に続いて長刀鉾が
写っていますので四条道りを
西から東に歩かれたようですネ。
京都の街は変わらないような
イメージが有りますが結構
変わりますね。

katsu さんのコメント...

常夜燈さん
四条通りを西から東へでしたか。
次にこの通りを電車中心にアップする予定ですが場所がよく判りません。
その時は是非ご教示ください。


katsu さんのコメント...

chitetsuさん
フィルムが勿体ない35mm判カメラで撮ると
あ~そこのオジサン早くどいてくれ。
あ~そのクルマ早く行ってくれ。
オバサン邪魔だよ。
なんてブツブツ呟きながら撮った私でした。
誰でも車両を綺麗に撮ろうとして どうしても構えてしまいますね。

ところがハーフサイズカメラになると気にせずじゃんじゃん撮る。
その結果、その時代の活きた風景が自然体で記録される。
ハーフサイズカメラはカメラの素晴らしさだけでなくそんな価値があったと思います。
ボンネットバスや当時の服装など、全く意図してなかったところに価値があったのですね。

匿名 さんのコメント...

いつもROMしております。山鉾の準備中の写真、スキャンされた状態で拝見しても原画が
非常に鮮明な事が想像できます。カメラは
PenSとありますが、30mmF2.8を搭載した
手動のEEではないオリンパスペンでしょうか?

katsu さんのコメント...

匿名さん
コメントありがとうございます。
オリンパスペンには最も原始的なペンとペンSがありましたが、
ブログの写真は1960年7月に発売されたDズイコー30mmF2.8付のペンSで撮りました。
この後に次々と進化して発売されたペンDシリーズやペンEEシリーズではありません。
ハーフサイズカメラでは全く頼りなく、撮った後に紙プリントすることもなく50年近く眠っていました。
ネガをデジタル化できる時代になって初めてオリンパスペンの威力に気が付いた次第です。
私が一眼レフや6×6判が買えるようになった頃はペンSはゴミとなり、
ペンSを使用したのがとても短期間であったのが悔やまれます。
ペンSで撮るのが最適な昭和の風景はその後も15年くらい続いたのではないでしょうか。


匿名 さんのコメント...

御確認ありがとうございます。
私も最初のカメラはハーフ(CanonDemi)でしたが当時撮影したネガ・プリントが不鮮明
でガッカリしていました。写真PenSで撮られた写真を拝見し、せめてカメラが同じであったらと思わずにいられません。中古を入手し改めて最近のフイルムで比較テスト、当時と同じくPenSの画像は鮮明です。

katsu さんのコメント...

匿名さん
今も中古オリンパスペンは鮮明に写りましたか!
中古で確か2万円くらいで売っていたのを見たことがあります。
私はオリンパスペンを4年間だけ使ってゴミ出ししてしまい、
何とバチ当たりな事をしてしまったか大後悔しています。
今になって思うと鉄道写真は中判カメラで綺麗に撮って楽しむジャンルだけでなく、全く違った価値感のジャンルもあった訳ですね。