大手私鉄の古い車体や台車のお下がりを譲り受け、それらを組合わせて様々な電車が生まれた。
昭和23年東京急行電鉄よりクハ3141・3144(旧京浜木造車)を譲り受け
電動車に改造したモハ501・502が登場した。
電動車に改造したモハ501・502が登場した。
その後、昭和31年にモハ501を元阪急81形84の車体と入替えモハ603となった。
堂々としたモハ603の台車.
ブリル27GE1をモハ605へ回し、南海から購入したブリル27MCB2に履き替えた.
元片上鉄道の昭和6年日車製ガソリンカー(キハニ102)で、昭和30年にクハ化され入線している.
両端荷台付で正面2枚窓と典型的なガソリンカーの姿をそのまま残している.
クハ802の元ガソリンカー台車
モハ605
昭和34年に阪神701形702の車体を譲り受け自社で電装を施し
モハ603が履いていた小さなブリル27GE1を履いている.
なんとも頼りない小さな台車の足回りがアンバランスで魅力的.
モハ603が履いていた小さなブリル27GE1を履いている.
なんとも頼りない小さな台車の足回りがアンバランスで魅力的.
上記のモハ502(旧京浜のクハを電動化)を元阪急1形8の車体と入替えてクハ化された.
こちらはブリル27MCB2台車に履き替えて足回りが堂々としている.
参考引用文献: 鉄道ピクトリアル臨時増刊 私鉄車両めぐり第4分冊
4 件のコメント:
刺激的な写真に居ても立っても居られず、質問させてください。
貴志川線クハ802の車輪、スポークを一本おきに切って居ませんか?こんなの初めて見ます。軽量化のためでしょうか?
匿名さん
コメントありがとうございました。
面白いところに気がつかれましたね、私は全く気が付かず改めて見てなるほど・・・。
写真を拡大してよ~く見てみました。
出っ張りはスポーク根元の鋳物形状ではないのでスポークを切った跡では無いでしょう。
出っ張りは調整ボルトのようです。タイヤ部とディスクの嵌め合いを焼き嵌にしないでボルトで嵌め合いを調整したと思われます。
これならタイヤ交換の圧入もたいした設備が無くてもできます。他の台車の車輪にもこの調整ボルトが見えます。
生まれも育ちも様々な貴志川線車両ですが、ドア横にしっかり羽根車の南海マークがつけられていて、大手私鉄の一員だと胸を張っているようです。
Cedarさん
あのマークは南海でしたか。
いやに立派で誇らしい紋章でよく目立ちます。
手持ちの部品やコンポーネントをやり繰りして大事に使っていたようです。
昔南海から来た車両の紋章も大事にとっておいてよく磨いて装着したのがあるかも知れません。
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