案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2021年5月13日木曜日

豊橋鉄道渥美線の貨車にあった田口線の文字

テレビでもよく紹介される豊橋鉄道田口線の廃線跡。

廃線跡で人気の高い豊橋鉄道田口線、廃線は1968年9月ということで豊橋鉄道渥美線を訪問した1963年はまだ十分に撮影できた時代であった。渥美線で見た無蓋貨車の田口線の文字を見ても関心向かなかったが今思えば惜しいことをしてしまった。渥美線よりも山岳路線が素晴らしい田口線の方を撮っておくべきであった。

以下は1963.4.4撮影の渥美線です。


渥美線の無蓋貨車に記されていた「田口線専用車 本長篠駅経由」
この時代、田口線は車両情報しかなく田口線のすばらしさを知らなかった。

朝の渥美線で無蓋貨車の周辺にいた車両たち。
渥美電鉄創業当時の電動客車を貨車に改造した デワ31


渥美電鉄より引き継がれたデキ151  木南車両製の南海タイプ


朝の高師駅風景。


 薄暗い夜明けの新豊橋駅にいた一番電車。

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