2000年代は旧型車が一掃され元地下鉄銀座線2000系に統一されていた時代。この頃に何回か訪問のチャンスがありながら何故か気が進まなかったのは、初めて買ったデジカメがお粗末なもので撮る気がしなかったせいかもしれない。
廃線1年前の2004年6月、日立電鉄で母校鉄道研究会の創立50周年記念列車が走った。元地下鉄の日立電鉄2000形(2001~2010)、2200形(2211~2217)、3000形(3021~3026)が計23両在籍していた末期の日立電鉄を兄のアルバムからスキャンしてみました。
旧型電車カラーに塗り替えられた3000形3023+3025. 常陸太田 2004.06.13
「法政大学工学部鉄道研究会 創立50周年 マイロネフクラブ」
のヘッドマークをつけた臨時列車.
ツートンカラーにするだけでかなりイメージが異なるものです.
1編成除くとどれもこれも真っ赤な元地下鉄電車ばかり.
久慈浜
久慈浜の車庫
久慈浜?
大甕
10 件のコメント:
この時期の日立電鉄に乗った事があります。真新しいコンクリ架線柱がずらっと並び枕木もPC枕木、乗客は多くてとても廃線間近の鉄道とは信じ難い雰囲気でした。
影武者さん
日立電鉄の末期はそうでしたか、決して寂れてはなかったのですね。
まるで昭和40年代まで必死に車両や設備の近代化で生き伸びて消滅した地方私鉄のようです。
日立電鉄は旧型車時代と較べると元地下鉄電車化の時代には設備面でもいろいろ近代化を図ってきたようです。
久慈浜の車庫も一新したようでその時はまるで廃線など考えられなかったのでしょう。
近代化したにも拘らず2000年代には乗客数が下降の一途だったそうです。
日立電鉄は昭和55年に一度だけ行きましたが、そのときは前回に登場した旧神中の改造車などが走っておりました。小田急の1000や静鉄100の譲渡車も常陸太田に並んでいました。
こうしてみると地下鉄のお古もなかなか味がありますね、トムリンソン密連にも痺れます。
Cedarさん
昭和55年とは日立電鉄の良き時代に行きましたね。
この頃は面白い電車が勢ぞろいしていたことでしょう。
地下鉄現役時代の車両にカメラを向けることは全く無かったのですが、
こうして地下鉄払い下げ車を眺めていると私も次第に馴染んできました。
Chitetsuさんが地下鉄現役時代を無数に撮って研究されているのには驚きました。
この電車もなかなか興味深いことがいろいろあるんですね。
こんにちは。
日立電鉄は東京から近い割には行った回数が私も少ないです。
朝の元小田急車を中心にした通勤輸送は見ものだったのですが、昼間の単行が詰まらなかったからかも知れません。
銀座線に変わってからは私も一度だけ行きましたが、オレンジ色の時は魅力的に見えた銀座線もあの色になると興醒めでした。
復刻ツートンは今みるとそれなりにいいですね。
どちらにしても、あのタイミングで廃止されるとは思っていませんでした。
chitetsuさん
元小田急の編成は私も見てみたかったものです。
もっと昔、上野から夜行で行くには中途半端な距離で、東北めぐりの帰りに寄るのも中止半端だったと思います。いつも夜行列車で通過する大甕駅だったのでしょう。
元銀座線の電車もあの赤はいただけないですね。
私が行ったのは2004年8月ですから、お兄さんの写真の2か月後という事になりますか。
初めて買った18きっぷでの旅なので、なかなかに思い出深いです。
真夏の炎天下、冷房の無い電車に軽くショックを受けながら、車内の熱い空気を懸命にかき混ぜているメトロマークの扇風機が印象に残ってます。
常北太田駅から大甕まではそこそこの人数が乗っていましたが、終点鮎川まで残ったのは私一人でした。
H.kumaさん
あの写真の2ヵ月後に行かれましたか。
あの2004年 私も行っておけば良かったと今になって後悔しています。
真夏の炎天下、メトロマークの扇風機など絵になりそうですね。
常磐線と接続する大甕が基点のようなもので、終点鮎川があんな街外れにポツンとあるのは今まで知りませんでした。
日立電鉄に乗ったのは、廃線になる2年前の平成15年の3月。前日に平年よりやや遅めの満開を迎えていた偕楽園の観梅、水郡線で袋田の滝見物に往復して水戸に戻り一泊、その翌日、72年に1度の大祭ということで盛んに宣伝されていた「金砂神社の磯出大祭(大田楽)」見物に行くために大甕から日立電鉄で常北太田へ。まず水戸黄門が晩年を過ごした「西山荘」を見て、それからシャトルバスで大田楽の会場へ。見物客で超満員の中、たっぷり一大イベントを堪能して、帰りは常陸太田からJRで水戸に戻ったのでした。
元銀座線の「電灯が消える電車」一色になっていた日立電鉄は、車両の上ではもはや大して魅力もなくなっていていましたが、大甕駅の側線に「ビール電車(?)」が停まっていたのを見た覚えがあります。結局廃線の憂き目に追い込まれたのは、親会社の日立製作所の業績悪化、そして日立市も、それによる人口減少と財政悪化で電鉄の存続に金を出せなくなったことに尽きるのでしょうが、今思えば、当時乗ったときには線路の状態もお世辞にも良好とはいえなかったようで、既に保守もままならなくなっていた状況になっていたのでしょうか。車両には冷房もなく、起点の鮎川駅も中途半端な位置で、これも電鉄にとって命取りになっていたような気もします。せめて日立駅まで乗り入れることができていれば、状況も違っていたと思うのですが…。
伊豆之国さん
水戸偕楽園から袋田の滝へ、そして水戸へ戻り翌日に常陸太田にある西山壮と金砂神社へ、水郡線と日立電鉄を組み合わせた鉄道の旅が楽しそうですね。
車社会でこんな鉄道の旅は贅沢と思います。袋田の滝などは車でないと無理と思って諦めていました。
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