案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2024年10月29日火曜日

昭和39年10月31日

facebookの二番煎じですが

昭和39(1964)年10月は東海道新幹線の開業で日本中が沸いた。大学の工学祭では鉄研が新幹線の技術話題を纏めて掲示していた。
そんな秋の10月31日、私は遠州鉄道奥山線の最終日を撮りに出掛けた。昭和39年は正月の沼尻から始まり大晦日の金沢市内線まで地方私鉄めぐりの撮影がピークの1年であった。

この工学祭では「生き残った軽便鉄道11社」の写真も展示をしたが、昭和39年は西大寺鉄道(昭和37年廃止)を除く軽便鉄道11社がまだ動いていたことになる。いつでも現地に飛び出せば軽便鉄道が撮れた時代だった。軽便鉄道最後の時代がちょうど学生時代だったのが幸運であった。

撮影:1964.10.31

「さようなら皆さん」最終日の奥山線.谷~都田口
前方遠くに引佐(いなさ)の山並みが連なる.

気賀口を発車する奥山線最終列車.

セレモニーを終えて薄暗い気賀口を発車する最終列車.


秋の大学工学祭では鉄研が新幹線情報を掲示した.


新幹線とは余りにも対照的な展示で見る人もいなかった?
「生き残った軽便鉄道11社」


花巻電鉄軌道線 高倉山温泉辺り 1964.8.2 
砂利道の道路の端っこに遠慮がちに敷かれた軽便トロリーラインの軌道。豊沢川に沿った道路に自動車はほとんど走ってなく、歩いている老婆が一人。この先を花巻方面へ向かうと「山の神」電停で、その先に大沢温泉がある。


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