案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2023年11月25日土曜日

盛岡駅待合室での仮眠

1966年東北周遊券の旅3日目、仙台で乗車した超満員の青森行夜行列車が盛岡駅に到着したのは深夜2時02分だった。花輪線の一番列車5時25発まで駅の待合室(一晩中開放)で3時間ほど仮眠をとった。
私が眠っている間にこの写真「深夜の夜行列車」を撮ったのが同行者の田辺さんだった。この3時間の仮眠のお陰で私達は花輪線一番列車で向かった先でこの日思い出深い撮影ができた。

 撮影日:1966.3.2
深夜の盛岡駅にやって来た夜行列車C61+C60.



東八幡平駅.
バスか車を利用して駅まで下って来た雲上都市の住民.


雄大な岩手山と松尾鉱業鉄道.



松尾鉱業鉄道が出ていた花輪線大更駅.
ホームには松尾鉱山の鉱山町「雲上の都市」から下りて来た住民が多い.


花輪線ハチロクの名所竜ヶ森.

4 件のコメント:

モハメイドペーパー さんのコメント...

松尾鉱業は電化線なので終点まで乗っています。大更を15時台の列車で折り返しの17時台がもう旅客の最終でした。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
ファンの間であまり話題にならなかった松尾鉱業鉄道を訪問されたのは良かったですね。
魅力的な車両がいた訳ではなし、つまらぬ路線と思っていましたが、
後になって心に残ったのは雲上都市の存在と松尾鉱山の悲惨な歴史でした。

Cedar さんのコメント...

松尾鉱山鉄道には阪和形電車の最後の生き残りがいたので、何とか行こうと画策したものの、社会人になっていて時間の都合がつかずにいるうちに線路もろとも消えてしまいました。
雲上歳の写真集に心惹かれてもいました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
松尾鉱業鉄道で車両と言えば阪和の電車モヨ104ですね。
花形電車と鉱山鉄道の組合せが実に奇妙です。
私達が訪問した1966年はモヨ104はまだ入線してなくて電機牽引列車だけでした。

雲上都市は今も廃墟マニアのメッカであるようですが、
当時は今のようにクルマで簡単に行ける時代ではなかったので
より神秘性が高かったように思います。