案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2021年9月30日木曜日

金沢の街 今昔

1964年に訪問した金沢の街風景を現在(googleストリートビュー)と比較してみました。

市内線が走った大通りは4車線に拡張され一変し、道路沿いの建物のほとんどは建て替えられていますが所々に昔を残す建物も見られます。昔のイメージを残して建て替えられた商店があれば、僅かの補修で57年後の今もそのまま残されている建物もあります。

探せばきっと電車通りの各所に名残が見つかることでしょう。さすが金沢の街ならではと思います。



兼六公園下から橋場へ向かう大通り。写真上は1964年12月
大通りも車も見違えるように綺麗になりました。三階建の特徴ある建物が注目です。


武蔵ヶ辻から橋場へ向かう大通り。写真上は1964年12月

2 件のコメント:

代打・山本 さんのコメント...

1枚目の5番系統 302号「東金沢」の行く手の先は右→左の直角カーブが連続するクランクで、ボギー車の車端をきつく絞らねばならない原因の場所でしたが、1990年頃に拡幅されて曲線半径(?)も大きくなり、もし今も電車が走っていたら普通サイズでもよかったはずです。

前を自転車に乗った男性が通りかかっている「廣文堂印刷所」は、看板建築の部分を撤去して1階を駐車スペースとし、住居としての使い勝手を考慮した改装がされているようです。

katsu さんのコメント...

代打・山本さん
その先のクランクをつい先日気づきました。
1枚目写真は橋場の交差点から公園下へ向かっているばかり思っていました。
写真は公園下を曲がって東金沢へ向かっているところでしたね。
クランクはいかにも城下町金沢らしいと思います。
これだけ道路が広くなると路面電車を通してもそう邪魔にはならないのではと思います。
金沢には市内線がよく似合っていました。