案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2020年8月9日日曜日

淡路交通 長田から広田へ

長田で下車して長田~広田間を撮ったコマを時系列に並べてみました。
風景は道路のホコリで真っ白、とても俯瞰写真を撮るどころではなかった。
やって来る電車が様々で大変に変化に富んでいた。

現在の地図の地形に置いてみた淡路交通の軌道と駅。
軌道跡が今も電車道として残っている。

撮影:1965.8.2
長田の先の急勾配を行くモハ1002。淡路らしい玉ネギ小屋が各所にありこの小屋は今も残っている。

ホコリだらけの茂み。モハ1010+モハ1011

脇を行く道路のホコリで緑は真っ白に。モハ1002

視界が開けると広田へ下る。モハ2009+モハ1003

大宮寺と思われる。

緑多い茂みを広田へ下る。モハ609+モハ610

広田駅に到着した洲本行。モハ1010+モハ1011

広田駅の福良行。モハ2009+モハ1003

全く駅の雰囲気異なるが広田駅を出た福良行でしょう。

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

高校の四国修学旅行帰りのバスの中から、廃線跡をみただけの淡路交通です。
お写真見ると電車はきちんと整備され、乗客も多いですね。
水間鉄道に移籍した1010を、貝塚駅で見かけたことがあります。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
高校の修学旅行はまだ神戸淡路鳴門四国道なんて無かった時代ですね。
1965年にすでに観光バスが走る道路はよく整備されていたので、
修学旅行で乗ったバスはきっと快適に走ったことでしょう。
車窓に見た廃線跡の風景はまだ1965年の淡路の面影を残していたと思います。

淡路の電車は水間鉄道へ行った2両以外は廃棄全滅したようです。