案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年12月7日土曜日

ある日の西大寺鉄道

facebookの友人から西大寺鉄道のこんな画像を提供戴きました。
ありがとうございます、ブログで紹介させてもらいます。
撮影者不明の小さな写真をスキャンしたそうで、撮影はたぶん昭和30年前後かと思われます。独特なこの時代を感じさせてくれます。
画像提供:門田さん

後楽園駅の線路の奥まったところにあった単端用のターンテーブル。

宮本常一の写真を感じさせるような日本の風景。

田んぼの中の交換駅となると西谷駅か。
西谷は民家の縁側がホームの待合所であった。

二人でデッキで積降ししているモノは西大寺裸まつりのポスターのよう。

国鉄と接続していた財田駅の風景。

西大寺車庫の隅で単端に燃料を給油。そばに立つ学生風は当時の鉄ファン同行者か。

西大寺車庫の長閑な風景。西大寺裸祭りで登場する客車が大量に詰め込まれていた。


4 件のコメント:

にぶろく さんのコメント...

生活感がたまりません。
暮らしの中に線路がある風景。
今では東南アジアに行かないと
見れませんね。

katsu さんのコメント...

にぶろくさん
後楽園駅の奥にターンテーブルまで延びた線路の周りには生活感が一杯。
当時は誰も撮らなかったこんな風景が貴重で今の日本になし。
今では東南アジアへ行かないと見れないはその通りですね。

宵闇 さんのコメント...

後楽園駅の車止めはこうなっていたのですね。

生活感漂う路地裏の雰囲気が良いですね。
この駅よりちょっと先まで伸びた線路のある終着駅って大好きです。

もし、自分が行き止まりの先の家の子供だったら、毎日、方転するディーゼルカーを眺めていた事でしょう。

katsu さんのコメント...

宵闇さん
次は私が昭和37年に撮った後楽園駅をアップします。
この薄汚いない風景は決して昔はよかったと賞賛できるものではないですが、
鉄道と生活が一体になった生活感やゆるさ優しさが魅力ですね。
今の綺麗になった時代でも生活感溢れるところならどこかあるかもしれません。
探すのは大変なことですが。