案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年1月20日日曜日

大分交通耶馬渓線 車両の坩堝(るつぼ)4

この車両の坩堝にいた車両を全て紹介すると車両図鑑になってしまうのでほどほどにしておきます。鉄道ピクトリアル「私鉄車両めぐり」でも写真がない車両がけっこうあり、丸出しでないところに反って魅力を感じたものです。


羅漢寺で見た混合列車の客車2両

昭和42年の訪問時に稼働していた客車で気になったのは羅漢寺で見た混合列車で、あの時の客車は一体何だったのか? 中津に戻ってきた客車が留置されていた場所からすると以下の客車だったのでしょう。
撮影:1967.3.5 中津車庫
ホハ2 明治31生まれの古典車 何と窓が小さいことか。

羅漢寺で見た2両はこのホハフ30+ホハ2と思われる。

中津へ帰ってきた混合列車で客車はホハフ30+ホハ2。

あとから2両を増結したのか古典客車とガソリンカー崩れの見事な編成。
左からホハフ30+ホハ2+ホハフ32+ハフ27、模型だったらこれをクラウスに牽かせるでしょう。

そしてキハ100に牽かれて盛んに活躍していたのが片ボギー車のハニフ12とハフ13

3番ホームのハニフ12

こちらは中津車庫の一番奥(奥の4両)に留置されていた使われなくなった古典客車。


参考: 鉄道ピクトリアル 私鉄車両めぐり第8分冊 大分交通耶馬渓線 谷口良忠 著

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