案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2023年9月23日土曜日

西国立にあった立川機関区(再掲)

 2012年9月18日に掲載した立川機関区。
画像を何点か大きく(長辺1440pix)して改めて再掲してみました。


右に僅か南武線西国立駅が見える。1963.09.08
西国立はこんな駅だったんですね。

西国立駅の脇にあった立川機関区.









12 件のコメント:

jha141 さんのコメント...

西国立初めて知りました この辺は車ばかりでした立川も国立も谷保も知ってましたが 鉄道に乗らないと記憶に残りませんね。

katsu さんのコメント...

jha141さん
西国立という駅名は中央線をイメージするのではないでしょうか。
南武線の西国立は私もまず行かないところです。
先日は電車で西国立を通りましたが60年ぶりに現状をチラッと見ました。
機関区の跡地にマンションが建って昔の風景が想い浮かびません。

Cedar さんのコメント...

この駅近くに模型仲間が住んでいて、たまに行きます。跡地のマンション群の扇形に広がった敷地を見るたびED16やED27が屯していたころのシーンを思いますねえ。貴重なお写真ありがとうございます。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
西立川はそうでしたか。
立川機関区は奥多摩で採掘された石灰石を第一セメント、日本鋼管まで運ぶ
日本の基幹産業(セメント・鉄)を支える重要な輸送ルートで、その牽引機の機関区でしたね。
ED16とED27は模型ファンなら大好きな電関ですね。
ED27は稼働中を撮ってなかったのが残念です。

モハメイドペーパー さんのコメント...

103系1000番代が出た頃ですが、ここのホーム寄り線路にED27が2両、休車札が入って留置されているのを撮影しています。さらに前、廃車直前のEF51が留置されていることを鉄道雑誌で知り、一目見たかったのですが、中学生に西国立は遠すぎました。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
EF51がこの機関区に所属していたのはずっと昔ですね。
EF11はよく中央線で見かけましたが、
これと較べるとEF51は大変に魅力的で、
模型で人気がありそうな電機ですね。

伊豆之国 さんのコメント...

地図を見るとわかりますが、西国立駅は国立市にはなくて立川市の東端近くにあります。普通なら「東立川」となるのが自然なのに、なぜ駅名が「西国立」になったのか、謎です…。「国立」のイメージを先行しての命名だったのでしょうか。南武線の分倍河原以西はほとんど乗る機会がなく、数年前に社用で何度か通ってからはご無沙汰です。西国立駅の周辺は宅地化していて、ここに機関区があったとは知りませんでした。

jha141 さんのコメント...

国立の街づくりに 堤康次郎さんが関わっていたとウィキペディアに書いて有りました 立川と国分寺から一字取って国立にした話は大昔聞いた事が有りましたが そう言えば街並みは洗練された感じを受けましたね 八王子に居た事が有るので良く中央線には乗りましたが国立駅に降りた事が有りません 又何時も車でした、今度 立川に行く時 西国立も見てみたいです。

katsu さんのコメント...

伊豆の国さん
地図を見ると確かに西国立駅は国立市ではないですね。
逆に谷保駅が国立市に入るのも意外でした。
青梅線の西立川に対して南武線に東立川があってもよさそうですね。
立川機関区の名称と東立川の駅名がよく合います。

katsu さんのコメント...

jha141さん
西国立駅は立川市であり国立の洗練された街並みとは関係なしでした。

meguru さんのコメント...

なぜこの駅が東立川駅でなく西国立駅かと言うと、実はこの西国立駅と立川駅の間に東立川駅があったからなのです。

katsu さんのコメント...

meguruさん
情報ありがとうございました。
調べたら確かに戦前まで東立川駅があったんですね。
もしこの駅が無かったなら今の西国立はきっと東立川になっていたのでしょう。