案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2023年4月29日土曜日

鉄道写真の添えもの。

よくある鉄道写真集で鉄道情景とは言え、どのページにも車両が写っている写真だらけになると車両がうるさくなります。そんな時、開いたページに車両が入っていない写真を1点でも添えるとワンパターン化が防げます。こんな裏町風景や駅などを沢山撮っておけば良かったと思っても後のまつり、理想は分かっていても60年前のネガにネタを探せど出てこないものです。当時は車両が写っていないと鉄道写真にならない意識が強すぎたせいでしょう。



鹿児島市電の風景。1967年


鹿児島の市電通りを一歩裏道に入るとこんな風景が。
 
鹿児島市電と言えば桜島の噴煙。それが写っていたのはこの程度。どれをとっても電車の全身が写ったものばかり。電車全身が写っていない風景はほぼ皆無であった。


2 件のコメント:

大木 茂 さんのコメント...

前回の「動きがある写真」に引き続き興味深いテーマですね。
「動きのある写真」からは生活の息吹が聞こえてきます。
写真撮影の一つの使命は「その時代を写すこと」だとすると、
写真屋が本当にやらねばならないことは時代背景を含めて、
人々の生活を「活写」して、後世に残すすることかもしれません。


風間さんがおっしゃるとおり、フィルム代が高かったけど、
もう少し周辺を撮っておけばよかったなと思うばかりです。

さて現在、そんな「旬の鉄道写真」が撮られているのか? 
答えは半世紀後なのでしょうか。

katsu さんのコメント...

大木さん
お恥ずかしい私の投稿を読んで戴きありがとうございます。
毎度々遠い昔の反省ばかりしている私です。

あの時代は車両をしっかり撮ることが最重要で、おまけで撮ったシーン
が今になってこれほど役立つとは思いもよりませんでした。

今、撮った写真を私は50年60年後に見ることができませんが、
その頃は今のデジタルで膨大に撮影された写真が溢れかえって
何も感じなくなってしまう時代が来るのではないでしょうか。