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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2021年4月12日月曜日

駿遠線 謎の残骸

コメントさんから連絡戴いた「懐かしの軽便いまむかし」に掲載されたハ30の写真から、「謎の客車ハ30」が謎であるかどうかが確定するまで、ここに記載した「謎の客車ハ30」を取り消して「謎の残骸」だけに変更させて戴きました。



ところで、1963年4月に駿遠線袋井工場で撮った1枚の写真↓で、左下に転がった残骸に謎の客車ハ30によく似たホハ30の表示が読める。
もしやこの残骸は謎の客車ハ30と関係があるのではないか??

1963年4月に駿遠線袋井工場で撮った1枚の写真。
左隅に転がった残骸に表示されていたのが形式ホハ30と自重5.6t
これは一体何の残骸なのか????

写真左下に写った残骸を上下反転拡大したもの。


そんな謎の残骸は、先日髙井薫平さんのこの1枚の写真↓で一気に解決。
この残骸は草軽ホハ30のものであり、謎の客車ハ30とは関係なしが判明しました。

髙井薫平著「軽便追想」に掲載されていた1枚の写真(掲載了解済)
1962(昭37)年12月の袋井工場
草軽からホハ30形3両を譲り受けて自社工場で改造中の最後の1両。

私がこの翌年4月にこの袋井工場現場で撮った写真に写っていたのがあの残骸。
まさかこんな場所で元草軽の客車を改造していたとは思いもしなかった。
謎の客車ハ30を思い浮かべてしまう、何と紛らわしい残骸(ホハ30)であったことか。

2 件のコメント:

tachikawa さんのコメント...

駿遠線のハ30ですが、藤枝市郷土博物館平成13年発行の『なつかしの軽便鉄道 いまむかし』という冊子に乗客を乗せて走行中の写真が掲載されています。長生きしなかった理由はわかりませんが、ある時期(上記の写真のキャプションには「昭和30年ころ」とあります)には実際に使用されていたようです。

katsu さんのコメント...

tachikawaさん
駿遠線の客車で二つの謎があり、その一つであるこの残骸のホハ30の謎は解けたので、
もう一つの謎である「謎の客車ハ30」にまで踏み込むべきではありませんでした。

「謎の客車ハ30」の発信元では仙北鉄道客車2両→静岡鉄道へ譲渡が記載された鉄ピク誌、それと駿遠線の客車ハ30の写真があることはご存知です。それでも何故「謎の客車」なのかさらに確認してみます。

本ブログで「謎の客車ハ30」についてのところを取り消させてもらいました。