案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年9月16日月曜日

江若鉄道 朝の叡山駅

右手、琵琶湖方面から朝日が差し込む叡山駅に列車が到着する。
間もなく1970年代を迎えようという時代にまだこんな美しい風景が残っていたのでした。


叡山駅の砂利に残るほうき目。 1969.10.19


4 件のコメント:

にぶろく さんのコメント...

割と近くにありながら
年齢的に間に合わなかった江若鉄道。
(残党とは岡山臨港などで出会いましたが)
改めてすごい私鉄だったんだなぁと思います。
三井寺下の車庫なんて、もっと写真を見たいです。

駅構内の砂利を掃き清めている人がいたなんて
鉄道への愛情を感じますね。

Cedar さんのコメント...

この時代の写真を改めて見ると、線路や駅構内が「綺麗」なのに感じ入ります、街の中でも同じでした。貧乏だったから物が溢れてないからと言ったらお終いですが、日本人のメンタリティが変わりましたね。

katsu さんのコメント...

にぶろくさん
三井寺の車庫は残念ながら何も撮っていませんでした。
撮ったときはあまり感じなかった江若ですが、
何十年も経った今になってじわっ~と良さを感じてきました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
確かに叡山駅にゴミが全く落ちていないですね。
これは鉄道マンの意識のお蔭であり、外へ出れば今よりずっとゴミが多かったと思います。
今では街がきれいになり駅も綺麗ですが、当時のこの駅の美とは違うように感じます。
近代的な綺麗さとは違ったわびさびの美でしょうか。