案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年6月21日火曜日

寸又峡温泉列車

大井川鐵道の訪問では、運よく千頭森林鉄道に出会ったが、もう一つこんなオマケもあった。
千頭で1両、新金谷で2両見つけた軽便廃車体。
元単端式ガソリンカーらしきこの客車は一体どこから来て、どこで使われていたのだろうか?
調べてみると元は浜松電気鉄道「中の町線」で使われていた単端式ガソリンカーで、同線廃止後に3両を千頭森林鉄道が譲り受けて客車化し「すまた号」の愛称で寸又峡温泉の湯治客輸送に使われたそうだ。
No.1とNo.2は裾と前面が絞られた典型的な日車製単端で、元はエンンジン室が前方に突出ていたのだろう。
千頭にあったNo.1は台車が無かったが、同系の新金谷にあったNo.2はアーチバーのような台車が確認できた。元は片ボギーの単端式ガソリンカーであったのだろう。
No.1とNo.2は元浜松電気鉄道「笠井線」
No.3は元浜松電気鉄道「中ノ町線」

寸又峡1 の表示が見えるNo.1.1966.9.23 千頭

湯治客を運んだ「すまた号」はこんなイメージだった?


千頭にあった廃車体1両.No.1

以下は新金谷にあった廃車体2両.
↑千頭にあった単端と同系のNo.2.前部がボギー台車. 1966.9.23   新金谷
下水色/上黄色のツートンカラーであった.
No.2の隣のNo.3は先頭部↑が絞られてなくドア2つで形状が日車製とは異なる.
このNo.3車体には片ボギー台車が残されていた.
  
軸距910mm 車輪径430mm                               車輪径530mm

その後メモが見つかり号機、カラー、車輪径などを追記しました.
keukaさんのご指摘により元の鉄道名の表示を訂正しました.'11.6.24

出典: JTB出版「全国軽便鉄道」。ネコ・パブリッシングRMライブラリー「大井川鉄道井川線」。

6 件のコメント:

keuka さんのコメント...

貴重な写真のアップ、ありがとうございます。
先頭部が絞られておらず、ドアが2つあるのが元・中ノ町線用の車輛(日車単端の変形車)で、残りの2輌(標準的な日車単端)は「内燃動車発達史(上巻)」によれば、元・笠井線用の単端だったそうです。
以下のURLに中ノ町線現役当時の画像(絵葉書)があります。
http://aitrip.exblog.jp/14531290/

にわとり さんのコメント...

いつも貴重な写真公開ありがとうございます。
また、絵の利用もありがとうございました。
勝手ながら、リンクさせていただきました。

日車の単端は裾絞りがステキですよね。
色はどうだったのでしょう?

katsu さんのコメント...

にわとりさん
お礼が遅くなりました。
素晴らしい小型車両の絵を使わせて戴きありがとうございました。
小型車両の絵には魅力的な車両が沢山あり直ぐにでも使わせて戴きたいものばかりです。
寸又峡の日車単端の色はメモによると下水色/上黄色とありました。

katsu さんのコメント...

keukaさん
軽便鉄模アンテナで大変お世話になっております。いつも掲示板を欠かさず拝見しています。
今回の単端について貴重な情報ありがとうございました。2両の日車単端は中ノ町とは別でしたか。
中ノ町線現役の画像を見ましたが絞りのない2ドア車ではなく、日車単端のようですが?
ところでその後、廃車体のメモが出てきましたのでブログに追記しておきます。

katsu さんのコメント...

keukaさん
湯口先生の「内燃動車発達史(上巻)」を確認しました。失礼しました、ご指摘の通りです。
絵葉書にあった浜松電気鉄道中ノ町線の単端は確かに変形車であり、この1両と浜松電気鉄道笠井線にいた標準的な日車単端2両が千頭森林鉄道にやって来たということになりますね。

匿名 さんのコメント...

こういうのって、やっぱり勢いですよね(ノ゚Д゚)ノシ★ http://hemn.me/DMM/?show=10A944