案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2025年6月30日月曜日

花巻電鉄 西鉛温泉「愛燐館」

2015年12月13日投稿記事のリニューアルです。

花巻電鉄軌道線の終点、西鉛温泉。そこにあったのは、駅舎もなくただホームが一つあるだけの、静かな終着駅だった。すぐ脇の砂利道を埃舞い上げて一台のトラックが通り過ぎていく。駅前には一台のバスが停まっており、待合室の看板に「愛燐館」の名が見える。おそらく、このバスで温泉客が宿へと向かうのだろう。

あれから61年、この「愛燐館」に先日宿泊した方から数日前の宿の写真が届いた。かつての素朴な風景から今の立派な旅館まで年月が流れても、この地の風景は変わらず旅人を迎えてくれているのだろう。

1964.8.2

前方に愛燐館の看板が見える、バスが温泉客をお出迎え.


西鉛温泉駅.


電柱にある駅名と時刻表.

鉛温泉側から見た線路の先が終着駅.山あいを流れる豊沢川に沿って温泉宿が点在している.駅を降りて温泉へ向かって道路を歩いている人の姿が見え、宿は近そうだ.

以下のカラー写真 撮影:赤鬼さん

バス停新鉛温泉から見た現在の愛燐館.


立派な愛燐館の建物.


愛燐館の灯篭と旧軌道線跡.左へ下ったところに旧鉛温泉駅(西鉛温泉の1駅手前)があった。

4 件のコメント:

U-BOAT さんのコメント...

こんにちは、私は平成13年11月から3カ月間だけ大沢温泉付近で仕事をしていました。大沢温泉や志戸平温泉の前の広い駐車場を見て、かつて花巻電鉄の駅があった頃に思いをはせました。
仕事が終わると鉛温泉の立って入る温泉に良く入りに行っていました。あんまり頻繁に来るから売店のご年配のご婦人からどこか体が悪いのか?と心配されました。
西鉛温泉付近の愛燐館は当時はコンパニオンさんが来るような娯楽メインの旅館だったので、行った事はありません。職場のドライバーさんがかつて花巻電鉄の運転士だったらしいと聞きましたが、ついぞ確認しないままだったのは今になってはちょっと残念な気がします。

Cedar さんのコメント...

鉛線の終点西鉛温泉には確かに行ってるのですが、手元に写真残っていません。線路一本で機回し線も無く、鉛温泉でのトレーラーの解結シーンが印象に残っているのと、鉛温泉に帰る電車がポールを下ろして惰力で下っていくのにびっくりしました、今なら法規違反確実ですね。

katsu さんのコメント...

U-BOATさん
体験報告ありがとうございました。豊沢川沿いにある温泉郷に泊まると軌道線の様々なことが浮かんでくるのでしょう。温泉宿や道路は変貌しても豊沢川と周辺の山並みは昔と変わらないのでしょう。それが花巻の魅力だと思います。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
西鉛温泉から鉛温泉までポール下したまま惰性で下って行く愉快な話、初めて知りました。鉛温泉駅で客車を連結する時にポール上げ下げがあるのでやっていたのでしょうね。