案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2024年5月7日火曜日

表紙 有田鉄道のこと

表紙の情景は有田鉄道で全線5.8kmの小さな路線。

国鉄紀勢本線藤並駅のホームに降り立つとそこに有田鉄道の粗末な出札小屋と簡易な乗換改札口があった。改札口の先に停車していた有田鉄道キハ210はよく見かける元国鉄42000形の顔で、赤ん坊を背負った乗換客などが乗車すると金屋口へ向け発車して行った。
藤並 1964年夏


藤並を発車したキハ210は有田川沿いのミカン畑の中を15分ほど走ると有田川上流にある終着駅金屋口に到着した。駅の脇には木材が雑然と積まれ殺伐とした風景であった。1964.7.9


キハ210に乗って着いた金屋口は御坊臨港鉄道と同様で木材だらけ.
有田川上流が木材産地で御坊臨港の終点日高川とよく似ている.

こんな機関車がいた.DB10
昭和29年森製作所製でこれも蒸機の足回りを利用したディーゼル機.


殺伐とした終着駅金屋口の全景.


有田川が流れる金屋町の玄関 金屋口駅.
駅前から見ると立派な
終着駅であった。

6 件のコメント:

モハメイドペーパー さんのコメント...

私が訪問したのは元富士急のキハ58が入り、昼間の列車はバス代行という、だいぶ末期の頃でした。キハは全区間で変速段のノロノロ運転、代行バスも同じ時間で走っているのが納得できました。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
よく訪問しましたね。
誰も行かないようなこんな有田鉄道に。

私が訪問した後の時代は全く知りませんが、
あの後に入線した元富士急のキハ58という似合わない車両で、
有田鉄道のイメージが一変しましたね。
加悦鉄道が国鉄車両の入線でイメージが一変したのとよく似た感じがします。
私が訪問した時は曇天の空でよけい寂しく感じた有田鉄道でした。

イワキ鯨川 さんのコメント...

大変ご無沙汰しております。
最新刊「地方私鉄 失われた情景」がなかなか手に入らず
最後の手段で、直接機芸出版社に出向き、本日入手いたしました。
ページを繰るごとに没入感は半端なく、よくぞこのような写真を
残していただいたものと、感謝しかありません。
一言お礼を申し述べたくコメント致しました。
ありがとうございました。

katsu さんのコメント...

イワキ鯨川さん
お久しぶりです。
わざわざ出版元まで出向いて購入いただきありがとうございました。
楽天、書泉、イモン等どこの通販も到着まで時間が掛かっているようで申し訳ありません。
楽天市場の場合、現状は5/10発注で最短5/14お届になっていました。
楽天市場の鉄道書(週刊)ランキングが第一位で品薄状態なのかも知れません。

モデラーの皆さんなら感じてもらえる内容にしたつもりですので、
本の内容を見て楽しんで頂ければこれまでの苦労が報われます。

ぬか屋 さんのコメント...

私が訪れたのが1970年始めの頃で、キハ07が主流、キハ58が導入された頃で
キハ250が放置されて居りました。

katsu さんのコメント...

ぬか屋さん
70年代始めと言えば世は正にSLブーム到来の時代。
このような小私鉄路線に訪問されたのに感心します。
キハ250の綺麗な時代(1970年代か?)を撮って投稿されたファンもいました。
意外に皆さん訪問されていたのですね。