案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2021年8月1日日曜日

沼尻鉄道 木地小屋

コロナと猛暑で自粛生活が続くとTMSの原稿が一向に進まず、つい原稿とは関係ない古い写真を見ては再スキャンをしてしまいます。 沼尻の木地小屋を撮ったのは列車の写真2枚のみ。驚きの駅舎とその隣に続く民家の風景を撮っていなかったのが残念です。

→驚きの駅舎の画像をお借りしました。



木地小屋の駅舎。1964年10月 Busushima氏所蔵
RMライブラリー113号にも梅村さんの名作写真が紹介されています。
手前に広い構内があり小屋の右半分が待合室で左が駅務室(無人化)だったのでしょう。

撮影:1964.1.2

木地小屋停車場。
朝の沼尻行き列車の車内はスキー客で超満杯。
ホームもない木地小屋の停車場に大陸的ムードが漂う。


木地小屋停車場。
午後の川桁行き列車は正月で地元の乗客で賑わっていた。
この時代は木地小屋停車場の北に旧土湯街道があり、
集落から外れた荒涼たる風景の中に停車場があった。


木地小屋~沼尻間の車窓風景


木地小屋から沼尻へ向かう区間はこんな風景であったが、廃線後は木の成長ですっかり様子が変わった。2003年の廃線跡めぐりでは田んぼの先に続く森の中に廃線跡を見つけることができたが、現役時代の風景からは想像もできない激変ぶりで不思議な世界であった。



一方こちらは木地小屋から川桁へ向かって一つ目の酸川野停留所。
旧土湯街道と交差する踏切でその先にこれが駅かと思う粗末な小屋があった。

4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

高校の修学旅行が東北巡りで、土湯温泉に宿泊しましたが、バスが途中の踏切で一旦停止、目の前を斜めに沼尻の列車が横切っていきました。ラストカットの場所だったのかなあ?昭和43年のことです。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
沼尻鉄道(磐梯急行電鉄)の休止がS43年10月なので
その年に旧土湯街道をバスで通り滅多に来ない沼尻の列車を踏切で見たとはなんと幸運なこと!!
沼尻鉄道が消滅直前のラストカットではないですか。
踏切は他にもあるのでこの場所かどうか分かりませんが。

猪苗代から沼尻、土湯を通り福島へ抜ける115号線(旧土湯街道)は沼尻廃線後の数年間だけ
私はバスや車で何回も通ったのに、その頃は沼尻鉄道のことはすっかり忘れていました。
この踏切で直線に延びる線路は、廃線後に綺麗な115号新道になっていたのですね。

Cedar さんのコメント...

Katsu様、勘違いしていました!高校の修学旅行ではなく中学のでした。中3でしたのでS41年です。そのころの記憶が曖昧でお恥ずかしい限りですが、色褪せたようなブルーとイエローの車体色は記憶にのこっています。(S43高校の修学旅行は四国でした)、大変失礼いたしました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
2年前の昭和41年でしたか。
この年は社名から沼尻が消え日本硫黄観光になっていた頃ですね。
廃止した昭和43年の2年前、この時代はまだまだ沼尻は元気に走っていたと思われます。
車両の窓下ブルーは中々再現が難しい微妙な色合いであったと思います。
沼尻の模型では忠実にこのカラーリング再現がポイントと勝手に思っています。