案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2020年11月11日水曜日

夜行列車

昭和38(1963)年に乗った長野行の夜行列車はこんなでした。 

昭和38年 夜行列車と浅間線

有楽町で切符を買い新宿駅に着くと22:35発の長野行準急「穂高」は既にホームに列車が入線し客車内は満員で空席なし、他に何本かある夜行列車のどれも登山客で長蛇の列。仕方なく「穂高」の車内通路の床に座る事にした。

発車時刻になる頃は床スペースも満杯となり、登山客満載した列車はまるで登山貸切列車のようであった。八王子あたりからは通路を移動する客もいなくなり眠ろうとしたが床に身体を丸めて横になるスペースもなく殆ど眠らずであった。
列車は甲府でDF50重連に付け替えし4時過ぎ頃に塩尻に到着すると、やっと座席に座ることができた。しかし松本までは1時間もなく殆ど眠らず早朝のうす暗い松本駅に4:45到着した。


写真下は文芸春秋に掲載された松本清張作品「遭難」で紹介された1958年夏の準急アルプスの普通3等車の車内である。1960年にアルプスが急行に昇格すると、準急「穂高」としてひきつづき運用された。

昭和40(1965)年前後のお盆の東北方面行き夜行列車も普通2等車の車内は帰省客や東北旅行客でこんな状況であった。旅行は季節休みを利用するのでどうしても混雑がピークとなる夜行列車であった。
(1960年~3等→2等になる)

昭和38(1963)年、私達が乗った準急「穂高」は超満員で床に寝るスペースすらなかった。


昨日、西村繁男絵本 原画展「やこうれっしゃ」で見た夜行列車の絵は上野発→金沢行のこんな時代の光景が実によく描かれているが、私達が乗った夜行列車とは時代が違うようで豊かになって来た日本を感じたものだった。

西村繁男絵本 原画展「やこうれっしゃ」 国立市

西村繁男絵本「やこうれっしゃ」から

国立駅旧駅舎の改札口とその上に表示された絵画展「やこうれっしゃ」の案内。


10 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

1カット目の写真のような列車は、昭和40年代にも走ってましたね。昭和45年の春休みにイワキ君他2名と九州まで夜行急行で行った時はまさにこんな感じでした。途中から乗ってきた客が座席の下や通路に寝てしまい、トイレにも行けない状態でしたね。今となっては懐かしいですが・・

モハメイドペーパー さんのコメント...

 中央本線は日付が変わる直前に出る普通列車が山男御用達で、土曜は昼過ぎから中央通路に並び、20時くらいで国電の快速(当時は急行)が終わるとホームに誘導されていました。床に寝る4等寝台は私も常磐線の十和田で経験しています。電暖に改造された客車は座席の下に足が伸ばせず、かなり窮屈な思いをしました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
昭和45年もそんなにひどかったですか。
私が最も夜行に乗ったのは昭和40年前後でした。
そんな光景の写真はほとんど見たことがないので、
せめて絵で懐かしく思い出すしかありません。
もし夜行列車が復活してもこんな夜行列車はまずありえませんね。
今は全てにわたり贅沢で面白味がありません。

katsu さんのコメント...

モハメイドペーパーさん
中央線の夜行で新宿駅の地下道に並ぶ風景を思い出すことがよくあります。
上野駅では駅の外に並んだ記憶があります。
当時は指定席など金が掛かるので買えませんでした。
自由席の座席を確保するまで半日がかり。
客車の通路の床に寝るなど皆さん体験しているのですね。

車内にエアコンなし、駅に自動販売機なし、タバコ吸い放題、
真夏に汗だくになってよくこんな夜行列車に一晩乗って耐えられものです。
今の乗客だったら身体がもたないでしょう。


jha141 さんのコメント...

登山の為に乗った事は有りませんでしたが、この光景は記憶有ります 窓から乗り込んだり 網棚に寝ているのも見てました高崎線で数度熊谷まで汽車でシュポシュポ、子供の頃の上野駅は薄気味悪かったですね傷痍軍人が沢山浮浪者も。

U-BOAT さんのコメント...

こんにちは。
私が乗った普通夜行列車は「ながさき」でした。
一度目は小学校の頃、折尾駅から小倉駅まで、何らかの障害で1時間以上遅れて入線して来た「ながさき」は10系寝台車を1両連結していて、「寝台列車だ!」と興奮しました。
2回目は中学生の時、当時鉄ヲタだった同級生と佐世保から博多まで乗りました。貧乏旅行で、不良高校生?とも割れる2人に絡まれたりして、良い思い出はありませんが、でも10系普通車を選んで乗った記憶があります。同級生は駅に停車する衝撃でいちいち目が覚めて眠れなかったのに、私はグーグー寝ていて羨ましかったと言っていました。
彼はダイヤ改正で「ながさき」が廃止されるときはわざわざ通学に早起きして乗っていました。当時より将来の夢は国鉄総裁になることで、総裁になったら国鉄の経営状態を改善させるんだと言っていました。
その後、東大経済学部に進み、今はJR九州に居るはずです。いつか、社長として登場する日を持っています。

katsu さんのコメント...

jha141さん
網棚に寝ているは聞いたことありますが私は見たことはありません。
凄いですね窓から乗るとか網棚とかはまるで終戦直後みたい。
上野駅は90年代まで薄暗い昔のイメージを残していました。
いつの間にか綺麗になりましたね。

jha141 さんのコメント...

キセルが多く 後から人がゾロゾロやって来るので何かと思ったら切符拝見 改札通らずは普通でしたね、笑っちゃいますね 切符拝見の事を けんさつ とか言って居たように記憶 大昔の事なので。

katsu さんのコメント...

U-BOATさん
夜行列車の思い出をありがとうございました。
各人各様のの思い出を残し普通夜行列車は消えてしまいました。
夜行列車に限らず何事も進化し過ぎると面白さが消えてしまい
思い出に残ることが薄まって行くのではないでしょうか。
ということで、ほどほど進化した1960~1970年代あたりの思い出は
よい思い出になったと思います。

katsu さんのコメント...

jha141さん
今日、本屋で夜行列車特集の月刊誌が並べてありました。
パラパラと見ると豪華な夜行列車「銀河」??の紹介。
時代は変わりましたね。昔が良かったとは言いませんが
こんな豪華な夜行列車にはもっと大事な事が失われていると思います。