私が上武鉄道を訪ねたのはその10年ぐらい後だったと思います。2代目ハフ3が貨車の最後尾に繋がれて丹荘に停まっていました。切符を買って発車を待っていたのに、汽笛も鳴らさず知らぬ間に置いてけぼりを食らわされてしまいました。バスで追っかけて西武化学の工場敷地内でやっと列車のただ一人の乗客になると、それまでの不機嫌は吹っ飛んで行きました。当時から(今でも)2軸車が大好きで、ボギー車では味わえない間延びしたジョイント音が子守歌のように心に響きました。ハフ2はその頃も西武色だったのでしょうか?
鹿部電鉄さんこの写真の0年くらい後に訪問されましたか。上武鉄道もこの頃とはずいぶん変わってしまったと思います。私たちが訪問した時は2代目ハフ3が入線したばかりだようで、沿線を歩いたので残念ながらこの客車には乗ってなかったようです。私のメモに記された客車の色は窓回り白クリーム、腰下淡いピンクは2代目ハフ3であり、丹壮駅に留置さていたハフ2は黄色/マルーンの西武色だったような気がします。
この鉄道に私と共に訪問しましたね。12月も過ぎて翌年の4月に従兄弟から電話がかかってきました。彼は西武鉄道から西武化学に出向してきたのです。で、驚いたのですが彼は我々の訪問を知っていたのです。実は西武化学の工場内にある事務所に立ち寄った際、見学者名簿を閲覧していたのです。このころはほんの少しのマニアしか来ないので私の名前を見つけたときは驚いたそうです。私が鉄道ファンであることを知らなかったからです。この工場内には西武から来た古典ロコが集められしかも現役も。ピッツバーク7号機が神流川沿いに竹や日の中から走ってきたのに対処できず碌な写真がありませんがこのころから盛んに地方鉄道巡りをしたのですね。ここから我々の青春時代が始まったのかと感慨深いものがあります。Katsuの写真を見て楽しませていただきました。
青蛙さんひさしぶりです。この頃は日誌をつけていなかったのが残念ですが、あの日のことは鮮明に記憶が残っています。暖かな陽を浴び丹荘駅構内に立った時の幸せ感が忘れられません。これから向かう西武化学工場内に一体どんな古典蒸機が動いているのか、事前情報が少ない時代ゆえの楽しみであったと思います。たった二人だけの古典蒸機訪問。この時の煙吐く古典蒸機の光景が写真と記憶で目に浮かびます。1962年の上武鉄道が見れたのがラッキーでした。この後すぐに再訪問しピッツバーグ7号機の桑畑走行を撮り直さなかったのが残念です。その後、現役蒸機がいなくなった上武鉄道にはすっかり感心薄らいでしまいました。
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私が上武鉄道を訪ねたのはその10年ぐらい後だったと思います。2代目ハフ3が貨車の最後尾に繋がれて丹荘に停まっていました。切符を買って発車を待っていたのに、汽笛も鳴らさず知らぬ間に置いてけぼりを食らわされてしまいました。バスで追っかけて西武化学の工場敷地内でやっと列車のただ一人の乗客になると、それまでの不機嫌は吹っ飛んで行きました。当時から(今でも)2軸車が大好きで、ボギー車では味わえない間延びしたジョイント音が子守歌のように心に響きました。
ハフ2はその頃も西武色だったのでしょうか?
鹿部電鉄さん
この写真の0年くらい後に訪問されましたか。
上武鉄道もこの頃とはずいぶん変わってしまったと思います。
私たちが訪問した時は2代目ハフ3が入線したばかりだようで、
沿線を歩いたので残念ながらこの客車には乗ってなかったようです。
私のメモに記された客車の色は窓回り白クリーム、腰下淡いピンクは2代目ハフ3であり、
丹壮駅に留置さていたハフ2は黄色/マルーンの西武色だったような気がします。
この鉄道に私と共に訪問しましたね。12月も過ぎて翌年の4月に従兄弟から電話がかかってきました。
彼は西武鉄道から西武化学に出向してきたのです。で、驚いたのですが彼は我々の訪問を知っていたのです。
実は西武化学の工場内にある事務所に立ち寄った際、見学者名簿を閲覧していたのです。このころはほんの少しのマニアしか来ないので私の名前を見つけたときは驚いたそうです。私が鉄道ファンであることを知らなかった
からです。この工場内には西武から来た古典ロコが集められしかも現役も。ピッツバーク7号機が神流川沿いに
竹や日の中から走ってきたのに対処できず碌な写真がありませんがこのころから盛んに地方鉄道巡りをしたのですね。ここから我々の青春時代が始まったのかと感慨深いものがあります。Katsuの写真を見て楽しませていただきました。
青蛙さん
ひさしぶりです。
この頃は日誌をつけていなかったのが残念ですが、あの日のことは鮮明に記憶が残っています。
暖かな陽を浴び丹荘駅構内に立った時の幸せ感が忘れられません。
これから向かう西武化学工場内に一体どんな古典蒸機が動いているのか、事前情報が少ない時代ゆえの楽しみであったと思います。
たった二人だけの古典蒸機訪問。
この時の煙吐く古典蒸機の光景が写真と記憶で目に浮かびます。
1962年の上武鉄道が見れたのがラッキーでした。
この後すぐに再訪問しピッツバーグ7号機の桑畑走行を撮り直さなかったのが残念です。
その後、現役蒸機がいなくなった上武鉄道にはすっかり感心薄らいでしまいました。
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