昭和40年夏の東北旅行は、松島、中尊寺、酸ヶ湯温泉、十和田といったお決まりのコースだったようだ。昔も今も誰もがそうであるように観光名所でハイポーズの写真オンパレードであったが、中には父が撮ったらしい風景も写っていた。露出計も距離計も付いていないオリンパスペンSであったがその時代が綺麗に写し込まれていた。ペンSは無欲で気負いなく撮ってその時代を記録するカメラとして最適であったのだろう。
仙石線東塩釜行 昭和40年夏
駅名表示板を見るとここは松島海岸駅のホーム.
東北本線平泉駅
宿の窓から見た夕暮れの北上川でしょうか.
夏の酸ヶ湯温泉
国鉄バスに乗った客を見送る宿の人達? 酸ヶ湯温泉
十和田湖を望む発荷峠の観光客たち.
8 件のコメント:
大変興味深く拝見しました。
お父上は貴重な街風景を記録されていますね。
普通の方はなかなかこのような写真は撮らないのでは?と思うカットが散見されますね。
最初は不細工改造の仙石線電車に性格的に目が行きましたが、その後の酸ヶ湯温泉や青森市内の風景に釘ずけになりました。
最後の一つ手前の写真に映り込む日本生命のビルは東北勤務時に会社事務所が入居していたビルで、五年ぐらいお世話になった建物なので、ビックリしました。
今は解体されてホテルになっています。
Citetsuさん
そうでしたか。
Citetsuさんに青森勤務時代があったことは知っていましたが、まさかあの写真に写っていたビルに会社事務所が入居していたとは驚きました。
下から2枚目のあの写真はアップしようかどうか迷っていたものです。
偶然で思わぬものが発見されるのは面白いもんですね。
先日、訪ねてきた甥夫婦と来年春で閉館するという松島水族館に行ってきました。
観光船の船着き場周辺は殆ど昔のままでしたが、途中の東塩釜までは新線や高架橋などでだいぶ様変わりしており、昔のローカルムードはもうありません。
当時お気に入りだったのは、塩釜港貨物線をオーバークロスして本塩釜駅へと"着陸"してゆくへろへろの高架橋で、かなりの低速走行にもかかわらず転げ落ちまいかといつも不安でした。
17m級車にはリベットの車体やニス塗りの車両も多く、懐かしい独特の匂いがありました。
高校時代は通学で仙石線で利用していたのですが、卒業するころには全て無機的な73系に入れ替わっていたような記憶があります。
#9999さん
仙石線は大きく様変わりしたようですね。
昔の仙石線には魅力溢れる個性的な車両がいて仙石線ファンは多いようですね。
高校時代に通学で利用した電車であればなおさら懐かしい思い出になったことでしょう。
私も通学で利用した電車(小田急)がとても懐かしいのですが、その頃はまだカメラを持てず1枚も撮れなかったのが残念です。
素敵なお写真ばかりですねぇ。
ハイポーズ!だって背景に面白いものが写ってたりして。
仙石線はCedarはウグイス色の73系時代が初訪問でしたが、松島海岸辺りの雰囲気はあまり変わっていなかったようです。
Cedarさん
観光名所でハイポーズは今も昔も変わらないですね。
私は名所でハイポーズなんてまっぴらで撮りません。
どうせ撮るなら自然なスナップ写真が良いのですが、
大抵それじゃ満足してくれませんね。
昔のハイポーズ写真の背景には確かに面白いものが写っていました。
私の記憶は全くいい加減で、よくよく考えてみると、40系の導入に始まり、73系・51系の順で徐々に20m車に置き換えられ、最終的に鶯色アコモ車に統一されていったと思います。その間はいろんな顔のいろんな色の電車が入れ替わり立ち替わりやって来てました。
電車は門外漢ですが、さすがに鶯色の103系もどきがホームに滑り込んで来た時はわが目を疑いました。
それからHPの宣伝になりますが、Katsuさんの未発表の貨車等をアップしましたので、お時間のある方は是非こちらにもお立ち寄りください。
#9999さん
昭和50年頃から仙台にはよく出張することがありましたが、
仙石線を横目に見ながら一度も立ち寄ることはありませんでした。
いろいろ興味深い当時の電車をなんで撮らなかったのか惜しいことをしました。
旧型貨車保存図鑑への掲載ありがとうございました。
貨車の解説により私の変哲もない貨車の写真でも楽しめますね。
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