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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年3月1日木曜日

奥山線 オリンパスペンで撮った軽便風景5

オリンパスペンが最も活躍したのは台車や床下など車両の部分写真で、特に軽便はよく撮ったものです。
今回は軽便風景ではないですが奥山線の電車スタイルしたキハ1802、そして廃線後尾小屋鉄道へ転籍したキハ1803の部分写真です。
           キハ1802   撮影: 1964.3.23~24
 
機械式気動車の運転台.ギヤチェンジレバーとクラッチペダルが見える.
運転席は木板で仕切られ運転席のシートは見えない



キハ1803


機械式気動車の運転台

こちらの運転席は乗客から丸見え


4 件のコメント:

青蛙 さんのコメント...

今思えば、氷水で空腹をこらえて歩きまわり、宿屋と宿泊料金の交渉に苦労したことも、いい思い出になりました。
写真の端にT君の姿も見受けられ、振り返ると軽便最後の時代はまだ、ゆとりある良き時代でしたね。いつも懐かし写真をアップしていただき、また、地方鉄道の魅力を探りたいものです。

katsu さんのコメント...

青蛙さん
今まで小ブログでは、写真の背景にある撮影旅行のエピソードなどにはあまり触れていませんでした。
鉄仲間との私鉄めぐりの旅はどんなだったのか、鉄道だけでなく懐かしい思い出についても少し書いてみようと思っています。お楽しみに。

chitetsu さんのコメント...

katsuさん、こんにちは。
小ブログをリンク登録いただきありがとうございました。
いつもながらゾクゾクするような写真の数々、楽しく拝見しております。
二十数年前、金指、気賀口、奥山と廃線跡を訪れた時のことを思い出しました。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん、いらっしゃませ。
こちらこそ「吊り掛け電車を求めて」で素晴らしい情景写真を楽しませてもらっています。
金指、気賀口、奥山の廃線跡を訪ねられたとのこと、廃線跡で奥山まで行かれる人は少ないと思います。
気賀口~奥山は今は線路が無くても、私にとっては昔軽便が走っていた風景に格別なものを感じてしまいます。