案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2021年12月16日木曜日

地下化直前の京王線

ビネガーシンドロームで廃棄処分と思っていたネガか出てきました。
改めてスキャンしてみた本ブログで紹介済みの写真です。


昭和5年東京日日新聞付録。東京市外地図。

撮影:1963.3.31

新宿駅南口の甲州街道。
1963.4.1に京王新宿地下駅が開業した。


甲州街道の中央部を行く京王線。


甲州街道から離れて専用軌道へ入るところの踏切。

文化服装学院の円形校舎の前から玉川上水沿いを行く京王線。


参考:甲州街道上の軌道から地下線に切替え後で、文化服装円筒校舎前から初台・幡ヶ谷にかけて地下化工事中の時代。この時代の甲州街道の逆S字カーブがよく分かる。
ネット写真を消去しました。

4 件のコメント:

jha141 さんのコメント...

いつも、良い投稿有難うございます 京王線は好きな私鉄です 昔を思い出しました。

katsu さんのコメント...

jha141さん
ブログはfacebookの二番煎じでお恥ずかしい限りです。
facebookではいろいろとコメントありがとうございました。

60年にも満たない新宿西口の急速な開発は日本の変貌ぶりを象徴しているようです。
更に進化して行く新宿駅。
新しい時代に人々も入れ替って行く。

Cedar さんのコメント...

新宿も激変しましたが、東京の私鉄の中で最も変わったのは京王線だと思います。このころの軌道線の香り完全に消えてしまいましたね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
京王線で今も馬車鉄道(後の軌道線)の面影残すのは都電と同じ軌道線ゲージですね。
初台辺りの玉川上水脇を曲がりくねって甲州街道上に出てきたり、
調布~仙川間で甲州街道上に出てきた私が知らない時代があったりで、
いかにも軌道線らしさがありましたね。

私が学生の頃には小さな電車が5両編成(全電動車)がまだ走っていたのが信じられません。
そんな京王線のその後の変貌は新宿駅や西口と同じくらいの激変だったと思います。