案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年1月7日金曜日

大晦日の金沢市内線(ハーフサイズ)

1964(S39)年の北陸鉄道めぐりの最終日、浅野川線、金石線を訪問した後、大晦日の金沢市内線を巡った。先日(12月31日)のアップと違って今回の画像は全てハーフサイズ・カメラであり、画質は落ちるが街の風景はハーフサイズのメモ撮りが面白い。ハーフサイズを使ったのは35mmカメラに較べて倍の駒数が撮れるという費用削減策であった。        1964(S39)年12月31日

金石線の中橋から国鉄の踏切を渡って、市内線の白銀町あたりから兼六園下まで撮り歩いたので、ネガの撮影順に撮影場所を推定。

安江
金沢駅近くの複線区間でその先が右へカーブしていることから安江と推定。
②系統: 金沢駅ー香林坊ー野町広小路ー寺町

安江 - 武蔵ケ辻
安江のカーブ。②系統の電車は武蔵ケ辻を過ぎ金沢駅に向っている。 

尾張町
賑わっていた武蔵ケ辻を過ぎ、この先の橋場町分岐点までの直線区間。
①系統: 金沢駅ー橋場町ー兼六園下ー小立野。

尾張町
武蔵ケ辻を過ぎ尾張町あたり。
④系統: 野町駅ー武蔵ケ辻ー橋場町ー鳴和。

橋場町
北陸銀行とパチンコの看板から、正面が橋場町の分岐点。
④系統は左に曲がり鳴和に向かう。

橋場町の分岐点。

味噌蔵 - 兼六園下
兼六園下を過ぎ、Sカーブを曲がり橋場町経由で金沢駅へ向かう①系統。
①系統: 金沢駅ー橋場町ー兼六園下ー小立野。

味噌蔵 - 兼六園下
寺町からやってきた⑤系統は兼六園下の分岐点を左に曲がり、
橋場町経由で東金沢へ向かう。
⑤系統: 寺町ー香林坊ー兼六園下ー橋場町ー東金沢

兼六園下に到着。

ここで今回の北陸鉄道めぐりは終了し、金沢駅で夜遅く夜行列車に乗った。
すいた夜行列車で正月朝の東京へ到着するのは毎年のパターンであった。

4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

金沢市内線も結局間に合わなかった線区でした。古い町並みに似合っていますね。写っている電車たちは岐阜に移った後でお世話になりました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん。
市内線の全線廃線は昭和42年2月。大晦日に撮った風景は、その後2年であっけなく消えましたね。

匿名 さんのコメント...

 金沢の友達に「懐かしい写真が見れる」と知らせました。折り返し電話があり、「気持ちだけいっぺんに若くなったよ、当時は気にも掛けなかった電車、そして、家並みなど、僕も写しておくべきだった…、」と悔しがっていました。僕も仕事の関係で金沢とは縁が深く、昭和37年頃、深緑色の単車が走る様を覚えています。その頃の日活の映画で「不敵に笑う男」(赤木圭一郎主演・抜き打ちの竜シリーズ)というのがあり、その冒頭のシーンに電化前の金沢駅に蒸機の牽く列車が入ってくるのがあり、驚きました。やすし
 

katsu さんのコメント...

福井のやすしさん。
いつもコメントありがとうございます。
金沢の街並みはとても魅力的で、もっともっと撮っておくべきでした。香林坊や近江町市場の事も知らずに撮っていました。
昭和37年の金沢は、確かに単車が盛んに活躍し駅にはSLが動いていました。
その後の金沢の街はどうなったのか、ゆっくり見学してみたいものです。