案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年1月5日水曜日

北陸鉄道 浅野川線

金沢駅前にある浅野川線の北鉄金沢駅は今では地下化されてしまったが、当時の地上駅はこんな風景であった。ここから国鉄へ貨物線が延びていて、ポール付きの四輪単車が使われていたようである。
北鉄金沢を出て左にカーブして北陸本線の下を抜けると七ッ屋で、そこに車庫があった。

北鉄金沢駅    1964.12.31

ダブルルーフのモハ3101  北鉄金沢

貨物線にいた四輪単車モハ573。  北鉄金沢

七ッ屋の車庫。  モハ3561 と モハ3551


元気動車のクハ1652

北陸本線(後方)の下を抜けると七ッ屋の駅があった。モハ3102+クハ1651


9 件のコメント:

猫が好き♪ さんのコメント...

 浅野川線は、地下化・昇圧後の2002年に一度だけしか訪問していません。
 なかなか北陸なんか行けないものでいちおう荒く下調べはしたのですが、その下調べってのがあほらしいことに地下化前・昇圧前の手持ちの本にあたるというもので。行ってみたら、車庫の位置すら変わっているというテータラクで。もう笑うしかありませんでした(=^_^;=)。
 まあとりあえず浅野川線は金沢の通勤路線としてそれなりに安泰のようでなによりです。末永くがんばっていただきたいものです。

Cedar さんのコメント...

浅野川線は地下化、近代化の前に一度行きました。内灘手前の鉄橋下で、北鉄スタイルの小形車を撮影しました。
それ以外には父が温泉旅行を抜け出して撮った北鉄金沢駅も画像があります。http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2010-09-24

http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2010-09-26-2

katsu さんのコメント...

猫が好きさん。
私も2004年にフラっと立ち寄って驚きました。何もかも変わってしまい、何十年の鉄撮りブランクもあり、一体何を撮ったらよいのか迷いました。今も市民の足として地方私鉄が生き残ったことは確かに嬉しいですね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん。
Cedarさんとお父さんが撮った画像拝見しました。北鉄金沢駅で撮った3563のいかにも北鉄スタイルが堪りませんね。温泉電軌からの永い歴史が詰まった電車みたいです。
S39年訪問時は車庫に3561が休んでいました。

匿名 さんのコメント...

モハ573は撮影当時、すでに電機代わりに使われていたようですが、僕が両親に連れられて遥遥、福井から内灘に海水浴に訪れた時、乗った電車のポール集電器の印象が深く、今でも覚えているので、もしかしたら当時は立派に旅客電車として走っていたのではないでしょうか、地元の方の投稿を待ちます。
やすし

katsu さんのコメント...

やすしさん。
4輪単車モハ573は、S33年頃は既に電機代わりに使われていたようで、海水浴で乗った想い出のポール電車は別のポール電車(ボギー車)だったかも知れません。

匿名 さんのコメント...

 福井のやすしです。僕が内灘に行ったのは小学3年の夏でした。因みに、1958年(昭和28年)のことです。
 北鉄の駅の雑踏の中で菊の花の氷柱が涼しげでした。

匿名 さんのコメント...

昭和28年は1953年でした。余り昔のことで間違ってしまいました。
 やすし

katsu さんのコメント...

福井のやすしさん。
そうでしたか。昭和28年なら四輪単車も活躍していたかも知れません。貨物入替時代のモハ573の写真をもう一枚アップしてみました。実に愉快なスタイルですね。