案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年1月17日月曜日

越後交通 栃尾線 廃線迫る 1

昭和39年3月訪問時に見たブドウ色のトレーラ(ホハ客車)が電車に牽かれる光景は、昭和45年頃まであったようだが、昭和40年代に入り着々と進められた総括制御化で、昭和50年3月の訪問時は総括制御編成に一変していた。
廃線迫るこの日の日中は2本の総括制御編成が長岡~上見附間を往復していた。その1本は、あのモハ205が栃尾規格型モハ212などと組んだ「モハ205+モハ212+モハ215」の3両編成であった。
モハ205は元ガソリンカーで改造に改造を重ね、その後総括制御編成に組み込まれ生き延びた。

モハ205+モハ212+モハ215  上見附 1975.3.8
11年前と全く変わってしまった上見附駅、そして生き延びた元ガソリンカーのモハ205。

午後の下り列車の賑わい。昭和39年の新造車モハ215  下長岡

モハ205の編成  椿沢近辺
モハ205の編成  椿沢近辺


2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

ここ何回かの越後交通栃尾線は毎回興奮して拝見しております。長岡で国鉄の車内から横目で見ているうちに消えてしまった近代的ナロー、一度でもいけばよかった・・と後悔しています。

katsu さんのコメント...

Cedarさん、ありがとうございます。
2回目に栃尾線訪問した時は、すっかり近代化されてしまって余り魅力を感じませんでした。
ところが近代化編成にも不揃いの楽しさが残っていて、それに気付いたのがつい最近です。
複雑怪奇な改造遍歴を経てどう生き残ったのか、その意外性を楽しませてくれる近代化軽便です。