案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年1月14日金曜日

越後交通 長岡線

1975(S50)年の3月初め、上野発長岡行き各停夜行列車はマイカー時代になっても、まだまだスキー客満載でまるでスキー専用列車のようであった。湯沢、石打を過ぎると車内はガラガラとなり明け方に長岡に到着した。この3月末で栃尾線と長岡線(旅客営業)が同時に廃止される直前ギリギリの訪問であった。

栃尾線訪問の翌日に西長岡の駅に向かうと、駅には様々な電機と元小田急電車一色であった。
貨物輸送に較べ、旅客の方はまるで活気なく閑散とし、軽便の栃尾線よりひなびていた。
次々と部分廃止されて残った区間は西長岡~大河津で、途中で下車して撮影できるほど本数はなく、与板止まりの電車に乗ってそのまま引き返した。

西長岡駅の全景。 1975.3.9

越後の山をバックに単行の電車が行く。 西長岡近辺。

ひっそりとした与板の駅。
与板の先へさらに線路は続く。



元長野電鉄のED512が盛んに活躍していた。  西長岡


西長岡


西長岡


西長岡の車庫には様々な電機が。

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