案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年1月19日水曜日

越後交通 栃尾線 廃線迫る 3

廃線迫る長岡駅に留置されていた3両の経歴は。

左: 元江ノ電115 →ホハ23→クハ111
中: 元草軽モハ105→モハ200→サハ306(同型サハは合計4両)
右: 元草軽ホハ23→ホハ26→サハ30→ホハ50
と、どれも興味深い経歴で、最後は栃尾規格型電車の間に組み込まれ総括制御編成の一員になった事でしょう。元草軽の客車は一時サハになって、その後また元のホハに戻っている。
国鉄のホームから見えた長岡駅の3両 クハ111+サハ306+ホハ50。   1975.3.8


元路面電車で江ノ電を経て入線し、様々な改造を重ねてクハ111となった。
古典客車の台車を活用した異色台車がチラッと見える。


元草軽の電車だったサハ306。この日はサハ302が総括制御編成に組み込まれ活躍していた。

元草軽の客車ホハ23だったホハ50。
草軽時代からの台車(車輪径530Φ)で、隣の元電車サハ306に較べ車高が一段と低い。

0 件のコメント: