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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年7月5日火曜日

豊橋鉄道 渥美線の車両2

朝の通勤時間には、古典電車や小型電車と組んだ元気動車の編成が次々とやってきた。
バラエティーに富んだ電車や制御客車が活躍した最後の時代と思われる。
全て1963.4.4  高師にて
モ150形153.台車と車体細部が151、152と異なる.

モ153+ク2283(元気動車)の編成.


古豪電車モ1051+ク1503(元神中鉄道気動車) の編成.


丸みを帯びたモ1051(元渥美モ1001)


モ681(名鉄貴賓車SC3号のなれのはて)+ク2280形(元気動車)


モ1301
 昭和30年代 地方へ転出した西武モハ101/クハ1111形9両の内の2両で、渥美線の1301、1302は車体延長された3扉タイプ。羽後交通雄勝線や山形交通高畠線へ行ったモハ101形に較べると堂々としている。


モ1301+ク2280形(元気動車) の編成


モ1200形1202.元静岡→西武→豊橋

引用: 鉄道ピクトリアル 私鉄車両めぐり第2分冊
鉄道ピクトリアル 臨時増刊「特集」西武鉄道

7 件のコメント:

H.Kuma さんのコメント...

実に魅力的な小型車両たちが走っていた時代ですね。
私もこのころに乗りたかったです。

渥美線は昨年末に初めて乗りました。
終点の三河田原は駅舎も電車も近代的になりましたが、駅の構内配線等に地方ローカルの雰囲気が色濃く残っており、夕暮れのひと時しばし佇んでしまいました。
http://hkuma.com/rail/iidasen/iidasen03.html

青蛙 さんのコメント...

豊橋鉄道は昔から名鉄の匂大私鉄の色が濃く面白みがないという先入観で1度も訪ねていませんでした。一連の写真を見て改めてローカルカラーと車両の編成を見てこの鉄道の小型車にひかれ、訪ねなかった事を悔んでいます。この時代小生は毎年北海道の私鉄を訪ねていました。この鉄道の魅力を引き出してくれたkatuさんにお礼申し上げます。

katsu さんのコメント...

kumaさんコメントありがとうございました。
昨年末の豊橋鉄道~夕陽に向かって走れ~を読み返してみました。以前読んでとても印象に残っています。
今回も古電車をアップした後この名文を読むと渥美半島に行ってみたくなります。今も駅施設などに私鉄ローカルの雰囲気を楽しめそうですね。車両はさておいて地方私鉄の今を訪ねて行きたい処だらけになりそうです(笑)

katsu さんのコメント...

青蛙さん、そうでしたか。
たしかに豊橋鉄道は平凡過ぎると私も思っていました。しかし改めて当時撮った写真を見ると中々面白い時代でした。
豊橋鉄道だけではなく昭和38年頃はどこの小私鉄でも昭和30年代まで生き延びた車両がかろうじて残され、都落ち電車投入により古車両が淘汰された時期であったと思われます。特に気動車くずれのクハの存在は地方私鉄の面白さのキーポイントの一つであったと思います。

常夜燈 さんのコメント...

貴兄が撮られた頃は、朝夕には
直接制御車の6連が走っていて
各車の運転士がブザー合図に
ノッチを入れるのですが駅有効長が
短いのでブレーキ扱いの関係か
ゆっくり走っていました。
古い車両にも良く手が入っていて
比較的遅くまで活躍しました。

常夜燈 さんのコメント...

ごめんなさい。
4連でした。

katsu さんのコメント...

常夜燈さん
ありがとうございました。
直接制御車の4連が走ったのですか!
乗ってみたかったものです。
常夜燈さんのサイト「ローカル駅の坪庭」を拝見すると豊橋鉄道の昔から今へ車両の歴史全てが分かりますね。まもなく豊橋市内線をアップしますので貴サイトを参考にさせてもらいます。