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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年7月2日土曜日

松阪線の丸妻電車2

三重交通松阪線→三重電気鉄道松阪線(S39年2月)
松阪線廃線(S39年12月)
三重線(内部・八王子線)へ丸妻電車転属(S40年1月~)
三重電気鉄道の近鉄への合併(S40年4月)
三重交通ツートンカラー→近鉄マルーン化(S40年4月~)

1年ちょっとの間に三重交通の目まぐるしい変貌があり、松阪線の丸妻電車の転属後は
トレーラ化されたり、近鉄マルーンに塗られたり、近鉄改番もある等で次々と変化して行った。
松坂線にいた丸妻3タイプはどれも似通っているため、絵にして変遷を記載してみました。


先日アップした松阪線現役時代の写真モニ201とモ250の廃線後は、上記のようにトレーラ化され更に近鉄マルーン一色へと変貌して行った。またモ261はずっと昔S26年の転属時にトレーラから電車になったもので、近鉄になって改番された。

以下、近鉄合併直後の昭和40年8月の丸妻車全5両はこんな姿に。

電装解除されたモニ201はサニ111となり、近鉄マルーン化の準備中.内部 1965.8.5

電装解除されたモニ202はサニ112となった.カラーはまだ三重交通ツートンのまま


電装解除されたモニ113はサニ113となり、近鉄マルーン化も終わった.


電装解除されたモ250はサ121となり、近鉄マルーンに塗装中.

近鉄合併でモ261→モ231に改番された.1965.8.5   ポップアップ画像

ラベル↓三重電気鉄道をクリック頂くとアップ済みの三重電鉄(軽便)が全て繋がります。

4 件のコメント:

常夜燈 さんのコメント...

旧松坂駅跡に建った三交百貨店は閉店し
建物も解体されました。廃線跡は松坂付近
以外はあまり変わっていません。
写された頃の日永は多数の駅員さんが
いたのですが今は無人です。
尚、運転士は名古屋線と共通で
内部線は塩浜乗務区から、近鉄北勢線の
頃は冨吉乗務区から月単位で来ます。
昨日までナロー今日からアーバンと
いうこともあるのかな?

katsu さんのコメント...

常夜燈さん
ありがとうございます。
内部・八王子線がナローのままで今も走っているのが不思議な気がします。
常夜燈さんの「ローカル駅の坪庭」で松坂線の今昔他を拝見しています。三重交通の古い写真が貴重で、凸型電機が牽く列車なんて堪らないですね。

Cedar さんのコメント...

内部の車庫の写真はいいですね。私も八王子線の部分廃止前に一度だけ行きました。そのときに丸妻のサニも見たよう記憶が。
この時に様子は昨年に記事にしています。

http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2010-03-04

katsu さんのコメント...

Cedarさん
ありがとうございました。
昭和46年の天白川沿いの情景を拝見しました。
三重電鉄から近鉄になって数年、まだまだ軽便の良き風情がありますね。丸妻電車にそっくりな平妻モ240形やモニ211形が写っていますが、この頃は全車近鉄カラー統一なのでしょう。
この6年後には松坂から来た楽しい丸妻車も全車消滅したようです。