案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年7月22日金曜日

米子の古典木造電車

昨年4月24日アップの同タイトルのリニューアル版です。

日の丸自動車・法勝寺電鉄(時刻表表示名)
1962(S37)年頃はまだ情報が少なく国鉄時刻表に正体不明の私鉄路線が載っていて、何の事前情報もなしで訪問する楽しみがあった。現地に行って始めてその正体を知る、日の丸自動車もその一つであった。

1962年の夏、国鉄時刻表に表示された「日の丸自動車・法勝寺電鉄」を頼りに山陰本線米子駅に降りる。米子駅の地下道をくぐり反対側に出ると、「日の丸自動車㈱電車部米子市駅」の看板を掲げた駅があり、木造2軸客車を牽いたダブルルーフの木造電車が乗客を待っていた。
荷物をベンチに放り投げ、懸命に撮ったのがこの朝の米子市駅の光景。大正時代の車両がゴロゴロしている光景に、前夜広島から夜行でやって来た朝の眠気も吹っ飛んだひと時であった。

日の丸自動車株式会社 電車部 米子市駅と表示された朝の駅.

朝日を浴びた古典木造電車デハ203 (元池上電鉄 大正11年製)
朝の米子市駅で発車を待つ木造電車と木造2軸客車.デハ203+フ51  1962.7.31 

私にとって究極の田舎電車と言えばこのデハ203である。車庫にいたデハ205と違って幅狭の顔が締っていて、新塗装になる前の明るいブルーと白に近いクリームの塗分けが良く似合っていた。
この時代の地方私鉄では、田舎臭いが派手すぎない美しいツートンカラーが多かったが、その中でも法勝寺電鉄のツートンカラーはひときわ魅力的であった。その後各地で登場した奇抜なカラーリングでこのような地方私鉄カラーは徐々に消えて行った。

古典木造2軸客車フ51 (元愛知電鉄 大正元年製)
古典木造電車にとって、この2軸客車は良きパートナーでお似合いの編成であった。


朝の列車デハ203+フ51に乗客が乗り込む。
デハ203は定員65人で、定員50人の2軸客車フ51とさほど変わらない小さな電車であった。

車庫で整備中のデハ205 (元名古屋鉄道103 大正11年製)

205の車体拡大

デハ203の足回り
よほどシンプルな電気機器なのか、こんな狭いスペースによく納まったものだ。


デハ205(203)の美しいブリル型76-E台車

4 件のコメント:

常夜燈 さんのコメント...

私が訪れたのは1966年で
京都からの夜行で行きました。
京都よりの道路から「米子市」へ
行きました。地下道があったなんて
初めて知りました。明治時代の
客車が走っていてタイムスリップ
したようでした。

katsu さんのコメント...

常夜燈さん
コメントありがとうございました。
地下道は開かずの踏切の脇に今でもあるようです。また法勝寺線米子市駅の建屋の面影が今も残っているようです。
訪問されたのは廃線昭和42年の1年前ですか。
明治のマッチ箱フ50が最後まで使われていたとは知りませんでした。驚きです。

goerlitz さんのコメント...

貴重な写真を興味深く拝見しました。
私も30数年前日ノ丸自動車法勝寺線廃線跡を車でめぐり、保存車両を見に行きました。
私は台車を色々調べております。
この車両の台車はブリル76Eではなく日本車輌製造のA形と思われます。
日車の車輌史台車編に同形の図面が掲載されていますので、機会がありましたらご確認ください。

katsu さんのコメント...

goerlitzさん
ご指摘ありがとうございました。
法勝寺線のこのブリル台車76Eについては私の情報元は鉄道誌(2007年発行)の記載でした。
改めて別の鉄道誌1967年を見ると確かに日車A型になっていました。
情報源として確実と思っていた鉄道誌でも一致ないブリル型のメーカやタイプについては、
門外漢は深入りしない方がよさそうですね。
今後、ブリル型台車の記載についてはメーカやタイプまでは触れないようにします。