当時(昭38年) 動いていた車両は元鶴見臨港デハ301、木造車デハ201、そして凸電デキ3、2軸客車ハフ1と2などであった。海辺の小さな鉄道で印象的であったのは、初夏の日差しでコントラスト強い風景とその中を走るポール電車のうす汚さであった。潮風のせいか電車のツートンカラーは色褪せていた。
こんな海辺の小さな鉄道も、今や観光鉄道に変身し電車もすっかり入れ替り、犬吠駅などは驚きの観光駅になったようだ。海辺の小さな鉄道にピッタリであったのどかな沿線風景も変わったことだろう。
撮影 1963(S38)年6月31日

銚子駅で発車を待つ列車は、2軸客車2両と凸電を従えた珍編成.


仲ノ町に居た小型電車デハ101.
凸電と小型電車はサマになる光景であった.

仲ノ町

小さな観音駅

仲ノ町

小さな観音駅

笠上黒生駅の交換風景

君ヶ浜を出て外川へ向かうと、松林の向こうに犬吠崎灯台を見て走る.
まだ海水浴のシーズンではないが2軸客車(増結)が必要なくらい乗客が多かった.

乗客を降ろすと2軸客車の付け替え作業が始まる.
元鶴見臨港の電車は薄汚れてかすんでいる.

駅舎に書かれた「外川駅」の表示もかすれてよく読めない.
外川駅を出ると漁港町の先に鹿島灘が開ける.
外川駅を出ると漁港町の先に鹿島灘が開ける.
10 件のコメント:
私が最後に行ったときにも。ほぼこの顔ぶれで、上田丸子から来たデハ700が加わったくらいでした。
それがいまや京王2010系ですから・・・観光化した駅などには目をつぶって、一度行きたいと思っています。
Cedarさん
Cedarさんがお仲間数人と行った時の記事を見ました。我々も学生時代の鉄仲間3人での撮影行きでした。このあたりも良く似ています。
私も是非行ってみたいと思っています。銚子電鉄の観光化は下津井電鉄の最期を思い出します。多くの観光客を運んでいつまでも存続してもらいたいものです。
貴兄とI君の3人で行ってから数十年ぶりに行きました。車両始め、駅舎もだいぶ変わっていました。風景だけは外川駅前は整備されていますが沿線の風景はさほど変わっていないようでした。その後、息子に誘われて出かけました。京王2010系や営団、伊予から来た車両がありました。NR.2538.1922かわいいELは派手な昔の塗装。黒いELのほうがふんいきがありますが…。
私が訪れたのは昭和44年(1969年)で
銚子駅の機廻り線は無くなって、ハフの
付け替えは仲ノ町で行っていました。
車両等は貴兄の撮られた頃と変わらない。
観音駅は今はたい焼きで知られるようです。
青蛙さん
沿線の風景はさほど変わっていないのは嬉しいですね。益々行ってみたくなります。
車両や鉄道施設は時代と共に変化して行くので、この鉄道のシンボル・文化遺産として残る凸電は確かに黒がいいですね。
常夜燈さん
あの6年後には銚子駅の機廻り線が無くなっていたのですか。銚子駅での凸電の存在がよく判りませんでしたが、ハフの付け替えが仲ノ町になった頃は凸電との珍編成は消えてしまったのでしょう。
ハフや貨車を牽いていた時代は付け替えの面白さがありましたね。
私が訪れた時は、仲ノ町でハフの
後ろにデキを付け銚子に向かいます。
折り返しデキの牽引で仲ノ町まで
来て付け替えます。ですから貴兄の
頃と違って外川側にデキが付いて
いました。私も銚子機関区で写しました。
水槽の「ちょうし」が懐かしい。
常夜燈さん
凸殿のつなぎ方はいろいろあったようですね。
銚子電鉄はよく考えたものです。
銚子電鉄の懐かしい写真をありがとうございます。
1962年の中学の夏休みのことだったでしょうか、銚子電鉄で終点の外川駅まで行ったことがありました。
駅近くの旅館を宿舎に、近くの中学校の体育館を会場にして、ちょっとした研修会があったのです。参加者は県内の中学生男女が30名ほど。たしか三泊くらいの日程だったと記憶しています。
そのうちの一日は、徒歩で犬吠埼、君ヶ浜、そして地球の丸く見える丘あたりを巡ったはず。
外川の海側で撮った、犬吠埼灯台が遠くに見える集合写真が残っているので、いつか外川駅に行き、この場所を再び訪ねてみたいと思っています。
Izuさん
銚子電鉄の思い出ありがとうございました。
銚子電鉄の記事をアップしたのが2011年で、もう6年が過ぎすっかり忘れていました。
今、自分で書いた古い記事を読み返すと何だか他人が書いたようで楽しめました。
ブログを始めた頃と今とでは、時代の変化は大変なもので、
そのせいか、写真を見る自分の感覚が次第に変って来ている感じがします。
そんなことをいつかブログに書いてみたくなりました。
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