案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年7月31日日曜日

銚子のポール電車

前回の銚子のポール電車に引き続き、ポール電車時代の風景をアップしてみます。

当時(昭38年) 動いていた車両は元鶴見臨港デハ301、木造車デハ201、そして凸電デキ3、2軸客車ハフ1と2などであった。海辺の小さな鉄道で印象的であったのは、初夏の日差しでコントラスト強い風景とその中を走るポール電車のうす汚さであった。潮風のせいか電車のツートンカラーは色褪せていた。
こんな海辺の小さな鉄道も、今や観光鉄道に変身し電車もすっかり入れ替り、犬吠駅などは驚きの観光駅になったようだ。海辺の小さな鉄道にピッタリであったのどかな沿線風景も変わったことだろう。

撮影 1963(S38)年6月31日

銚子駅で発車を待つ列車は、2軸客車2両と凸電を従えた珍編成.

銚子~仲ノ町間を走る珍編成. 仲ノ町


仲ノ町に居た小型電車デハ101.
凸電と小型電車はサマになる光景であった.

仲ノ町

小さな観音駅
笠上黒生駅の交換風景


君ヶ浜を出て外川へ向かうと、松林の向こうに犬吠崎灯台を見て走る.

海辺にある終点外川駅の風景.さんさんと差す初夏の陽差しが眩しい.
まだ海水浴のシーズンではないが2軸客車(増結)が必要なくらい乗客が多かった.

乗客を降ろすと2軸客車の付け替え作業が始まる.
元鶴見臨港の電車は薄汚れてかすんでいる.
駅舎に書かれた「外川駅」の表示もかすれてよく読めない.

外川駅を出ると漁港町の先に鹿島灘が開ける.

8 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

私が最後に行ったときにも。ほぼこの顔ぶれで、上田丸子から来たデハ700が加わったくらいでした。
それがいまや京王2010系ですから・・・観光化した駅などには目をつぶって、一度行きたいと思っています。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
Cedarさんがお仲間数人と行った時の記事を見ました。我々も学生時代の鉄仲間3人での撮影行きでした。このあたりも良く似ています。
私も是非行ってみたいと思っています。銚子電鉄の観光化は下津井電鉄の最期を思い出します。多くの観光客を運んでいつまでも存続してもらいたいものです。

青蛙 さんのコメント...

貴兄とI君の3人で行ってから数十年ぶりに行きました。車両始め、駅舎もだいぶ変わっていました。風景だけは外川駅前は整備されていますが沿線の風景はさほど変わっていないようでした。その後、息子に誘われて出かけました。京王2010系や営団、伊予から来た車両がありました。NR.2538.1922かわいいELは派手な昔の塗装。黒いELのほうがふんいきがありますが…。

常夜燈 さんのコメント...

私が訪れたのは昭和44年(1969年)で
銚子駅の機廻り線は無くなって、ハフの
付け替えは仲ノ町で行っていました。
車両等は貴兄の撮られた頃と変わらない。
観音駅は今はたい焼きで知られるようです。

katsu さんのコメント...

青蛙さん
沿線の風景はさほど変わっていないのは嬉しいですね。益々行ってみたくなります。
車両や鉄道施設は時代と共に変化して行くので、この鉄道のシンボル・文化遺産として残る凸電は確かに黒がいいですね。

katsu さんのコメント...

常夜燈さん
あの6年後には銚子駅の機廻り線が無くなっていたのですか。銚子駅での凸電の存在がよく判りませんでしたが、ハフの付け替えが仲ノ町になった頃は凸電との珍編成は消えてしまったのでしょう。
ハフや貨車を牽いていた時代は付け替えの面白さがありましたね。

常夜燈 さんのコメント...

私が訪れた時は、仲ノ町でハフの
後ろにデキを付け銚子に向かいます。
折り返しデキの牽引で仲ノ町まで
来て付け替えます。ですから貴兄の
頃と違って外川側にデキが付いて
いました。私も銚子機関区で写しました。
水槽の「ちょうし」が懐かしい。

katsu さんのコメント...

常夜燈さん
凸殿のつなぎ方はいろいろあったようですね。
銚子電鉄はよく考えたものです。