案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年8月2日火曜日

銚子駅の煙


夕方の銚子駅. 1963.6.31

銚子電鉄を撮り終えてほっとすると、いつものように国鉄の機関区に向いました。

陽も傾き始めた頃、銚子駅構内の引込線ではC58が盛んに煙を吐き、西日を浴びた銚子機関支区ではC58など5~6両が煙を吐いていた。帰りの列車まで機関区をじっくりと撮影させてもらい銚子発16時20分発の千葉行き列車に乗った。わざわざ時間の掛る蒸機の列車を選んだが、銚子~千葉間にはまだC58旅客列車が何本も走っていた。

銚子機関支区   1963.6.31

C58に混って86もいた銚子機関支区

夕陽を浴びた銚子機関支区の蒸機群  ポップアップ

発車を待つ銚子発千葉行きの蒸機列車に乗って帰る.

初夏の夕日が沈むのを眺めながら蒸機列車に揺られて西へ向った.
夕暮れの駅では蒸機列車同士の列車交換を楽しむ.
東京近郊でこんな汽車の旅ができた昭和38年であった.


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