案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年7月18日月曜日

土佐電 安芸線

土佐電気鉄道安芸線。
国鉄御免駅から安芸まで、黒潮おどる土佐湾太平洋沿いを1時間ほど走る。国鉄御免から一つ目の御免町で、鉄道線と軌道線の線路が繋がり、両線の駅が一体となっていた。この安芸線は1974年に全線廃止され、この乗入れ風景も消えてしまった。その後、土佐くろしお鉄道が開通したが、たぶん今の後免町駅に昔の面影は何もないだろう。

高知市内から来た直通てい(安芸線の手結)行きが左手の安芸線の線路に乗入れるところ.写真の601は密着連結器とジャンパ栓を装備した二連乗入れ仕様になっている.後免町  1969.5.5

クハニ3501+モハ5001+モハ5005    ポップアップ

クハニ3501 後免町
高知鉄道時代からの生え抜きガソリンカー3両がクハ化され、この1両のみがクハニ3501として
両→片運転台貫通ドア付に改造され生き残った。他の2両は阪神車体に載せ換えクハとなる。

阪神車体にガソリンカーの台車を履く.クハ3001
生え抜きガソリンカー2両は車体を阪神1101形に載せ換え2両のクハ3001と3002になった.

古い台車を履いたモハ5006 モハ5007 後免町車庫
安芸線電化時の古典車モハ1000形7両を阪神1101形車体に載せ換えモハ5001~5007となった.

クニ2101荷物車
元国鉄(佐久鉄道買収車)の気動車で、電化時にサハ化され更にクハ化された.

阪神車体と交換で降ろされた2両の元ガソリンカー クハ2002と2003の車体.後免町車庫


参考文献: 鉄道ピクトリアル臨時増刊号 私鉄車両めぐり第1分冊

9 件のコメント:

nekosuki.org さんのコメント...

 今の土佐電鉄後免町駅は、広い空間に路面電車の線路が一本だけ引き込まれていて、2面1線のホームがあるだけの、奇妙な空間になっていました。まあ以前は接続駅だったのは知っていたのでその面影なんだろうなあ、と思いつつ眺めてきましたけど。使われていない線路がアスファルトに埋まって残っていたりしましたが、それは名残りだったんでしょうねえ。
 土佐くろしお鉄道の後免町駅は、隣接してはいたものの高架駅であり、かんっぜんに「別の路線」という感じになっていましたね。時間がなかったので、土佐くろしお鉄道の方は地表から見上げただけで、そそくさと井野方面に向かってしまいました。

katsu さんのコメント...

nekosukiさん
地図で現在の土佐電後免町駅を見ましたが昔の位置から少し離れているようですね。土佐くろしお鉄道は全く別路線であるのを私も感じます。
昔の進歩的な路面電車の乗入れが発展していたら、高知市郊外を抜け海辺の沿線まで、人に優しい近代化路線になっていたかも知れません。

匿名 さんのコメント...

ブログ拝見いたしました。貫通扉がついている車両を走らせている廃止された地方私鉄は少ない、西では淡路交通などごくわずかです。中部では北恵那鉄道などがありますが車両は瀬戸電気鉄道の車両が走っているというイメージが強いです。東では上田交通でしょうか廃止された鉄道を調べていますが意外なつながりがあります。安芸線の場合元阪神の車両ということでしょうか。ガソリンカー―も江若鉄道の車両そっくりで調べてみたいと思います。

katsu さんのコメント...

匿名さん
写真で安芸線の現役電車は全て元阪神です。
びわこ型の気動車はここだけでなくいろいろ居たようです。
安芸線のびわこ型クハは安芸線の前身高知鉄道時代に導入された気動車の改造です。

アイマン さんのコメント...

私は四国の琴電を撮影に昭和42年12月末に四国に来たのですが、その後に高松から土讃線に乗って土佐電鉄についても撮影のため訪れました。後免から後免町で降りて構内を撮影しましたが、その時は車体だけになったガソリンカーが構内の端に留置されていました。その後は終点の安芸駅まで乗ってから路面電車3連の連結編成で折り返して後免経由で高知駅に出ました。廃止されてからはまだ一度もこの地は訪れていませんが良き思い出として残っています。

katsu さんのコメント...

アイマンさん
昭和42年の訪問は私が訪問した2年前ですね。
安芸線の終点まで行かれたのは貴重な体験ですね。
私は市内線を撮りながら後免町の構内で車両を撮って疲れて引き返してしまいました。
松林の中を海沿い走る路面電車を撮らずに残念な事をしました。
四国内を夜行列車で移動するなど無茶な旅でしたが、
安芸線を撮っておけばと今でも悔やんでいます。

アイマン さんのコメント...

こんばんは
katsuさん
四国内を夜行列車で旅したとのこと、私も同じです。12月24日に四国入りして28日に宇高連絡で四国を出るまで5日間四国内を夜行列車で過ごしました。土讃線の急行あしずりや予讃線の列車でした。結構朝早く着きますが、最初はまんじりとも寝られず寝不足だったので昼間に寝てしまったこともあります。安芸からの3重連の車中もそのひとつでした。
さすがに宇野から京都行の夜行列車では爆睡してしまい、終点の京都で車掌さんに起こされました。四国周遊券で旅行していたのですが、乗っていたのは1等客車だったので終点で精算となりました。そのため1等車の雰囲気乗り心地は全然覚えていません。
それでも今となれば良き思い出となりました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

katsu さんのコメント...

アイマンさん
あの狭い四国で夜行利用で5日間とは物凄い!!ですね。
私は四国での夜行は高知~高松間のたった1泊でしたが疲れました。

あの時の思い出を当時の時刻表で追う楽しみもあるのですが、
古本屋にある時刻表は少し後の時代でも7000円もしました。
私の手元に残されている時刻表は昭和37年の1冊のみ。
なんで全て捨ててしまったのだろうか昔の時刻表。

アイマン さんのコメント...

こんばんは
katsuさん
いくら若いとはいえ自分でもあの当時四国内の短い路線で4連泊して旅行を続けられたのが不思議です。
最近その旅行の当時持ち歩いて書いたメモ帳が見つかり、中を見ると路線図や小遣い帳、旅行の経路がわかるメモなど50年以上前の当時を思い起こさせるものでした。

古い時刻表は自分は昭和43年10月のみ持っています。ヤフオクなどは高いですが最近JTBで復刻盤時刻表がでていて古いものでも1500円から2000円程度で手に入るようです。