案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年11月1日月曜日

駿遠線 DD501機関車

1965(S40)年8月、自社相良工場で製造されたDD501。
軽便機関車としては国内最大級と言われる、こんな立派な機関車を軽便鉄道の自社工場で作ってしまうとは驚きであった。本線長沼工場の電車用台車を転用し、ナローに改軌して足回りに使用したそうである。
この翌年(1966年)、このDD501の見学会があり、東京から夜行バスで地頭方に到着すると、明け方でまだうす暗い構内に白い車体のDD501を見ることができた。
朝のラツシュ時には5両の客車を牽き大活躍(ブログのタイトル画像)であったが、1970年の全線廃線により僅か5年で廃車という悲運の機関車であった。保存される事もなく、あっという間に解体されエンジンを抜き取られてしまったそうである。

夜明けの地頭方で見たDD501     1966.9.23


朝の通勤通学列車。 太田浜 - 片浜 1966.9.23 

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