駿遠線袋井工場物語
袋井工場では日常的な車両の整備・点検だけではなく、機関車や客車の新車の製造も行われていました。工場の規模は小さく、機械設備も必要最小限で、更に工場の建物もバッラック同然でした。しかしそこには台枠や台車といった足回りから、客車・機関車・内燃客車(気動車)をそっくり製造する能力があり、一時期は新車が続々と誕生して行ったのです。当時あらゆる技術を可能にしたのが、まさに野武士軍団とも呼ぶべき、腕の良い「現場職員」たちでした。同工場は1967(S42)年8月27日に閉鎖されました。
中村修著: 駿遠線物語より
1967(S42)年7月に訪問した袋井工場は、この2か月後に袋井~新三俣間廃線と伴に工場閉鎖された。そして蒙古の戦車DB601~609は全廃となった。かってはエンジンと変速機を元に、蒸機の下回りを活用して様々な蒙古の戦車DBを製造していた袋井工場が興味深い。
袋井工場の全景。すぐ裏を東海道線が走る。 1967.7.9 |
工場の一角
1967年7月に袋井で見た美しい蒙古の戦車は、DB全廃直前の最後の姿であった。
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