案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年10月8日金曜日

栃尾線 上見附駅1

上見附駅に次々やってくる列車は、どれも客車を数量牽引した電車or電機であった。機回り線を使って付け替えると、スイッチバックして栃尾や長岡へ出発して行く。電車には様々のタイプがあるが、それ以上に種々雑多なのが電車に牽かれた客車。古典から珍品までその編成の不揃いさが楽しい。
大正初期の最古参ダブルルーフ客車ホハ1~8、元草軽の古典小型車ホハ17,18、単車をつなぎ合わせたホハ10、それにガソリンカーや電車崩れのデカイ客車など、さまざまな珍品が活躍していた。
その後、これらの客車編成は6年後の昭45年頃までに消滅してしまったようだ。

上見附風景   1964.3.22
機廻し作業のモハ209  


上見附に次々やって来た列車の編成を並べてみると、まずはモハ214の快速列車から。

電車を先頭に付け替え中で、客車は最古参の古典客車ホハ6


その後ろには、元ガソリンカー(その後電車化)のでかい客車ホハ27が

モハ214の快速列車はこんな編成で長岡へ出発して行った。モハ214+ホハ6+ホハ27

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