案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年11月5日金曜日

晩秋の頸城鉄道 百間町

頸城鉄道が終焉を迎えた1970(S45)年の11月始め、直江津からバスに乗り百間町へと向かった。
黒井~百間町、飯室~浦川原間の両端が廃線となった頚城鉄道は、国鉄黒井での接続を断たれ陸の孤島のような鉄道になっていたが、百間町~直江津間を往復するバスとの接続により、かろうじて孤島は免れていた。

朝もやの中をやってきた一番列車が百間町に到着すると、乗換え客は先ほどのバスに乗り込み直江津へ向かって行った。乗換えの賑わいが去ると、またもとの静寂に戻り次の発車まで、人気のない百間町駅は朝陽を浴びひっそりとしていた。

新黒井方面を見ると、一直線に延びていた線路が外され行き止まりになっていた。
百間町には貨車も客車も見掛けず、ホジの単行が残された百間町~飯室の間を往復していた。
よく持ちこたえた頸城鉄道も最後の冬を越し、翌年(1971年)の5月に廃線となり消滅してしまった。

朝陽を浴びた百間町駅。一番列車の客を直江津行きのバスが待ち受ける。
新黒井まで延びていた線路はここで途切れている。

一番列車のホジの乗客を乗せたバスが直江津へ向かって発車していく。
空になったホジは次の発車までのんびりと待つ。  百間町



静まり返った朝の百間町駅


百間町機関庫の外にはラッセル車のみで、
沢山いた貨車は浦川原に取り残されたのか? 姿は見えず。

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