案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年11月22日月曜日

蒲原鉄道 五泉~村松

蒲原鉄道を訪問したのは1968(S43)年8月のお盆休みであった。
新津から磐越西線に乗って15分程の五泉から信越本線の加茂まで走っていた。
丁度お盆のシーズンで、この日はどこも家族連れの乗客が多かった。
五泉の小さなホームで待ち受けていた電車は元西武の17m級3扉車で何とも平凡な電車であった。
東京でも撮れるような電車を、何でわざわざこんな地方まで撮りに来たのかと思ったものである。
お目当てのいかにも蒲原らしい2扉車は、この頃はもう動いていないようだった。

磐越西線からの乗換客を待ち受けるモハ71       五泉 1968.8.17

蒲原鉄道は五泉から村松までの区間が主力で、この間は頻繁に走っていたが村松から先は本数が半減であった。村松までは田圃ばかりで平凡だが、ハザ木がいかにも新潟らしい風景であった。
五泉~村松間を往復するモハ71

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

蒲原鉄道の写真もずいぶん味のあるものとなっていますね。田んぼを囲む木立は、コメどころならではのこの地方の風景です。刈り取った稲を干すハザの木ですね。青蛙

katsu さんのコメント...

青蛙さん、ありがとうございます。
あの立木の名称はハザ木でしたか。
前からこの名前が判らなかったのです。
コメどころ越後平野を特徴付ける「ハザ木」は
単調な風景にアクセントになりますね。

nekosuki.org さんのコメント...

 蒲原鉄道は結局、部分廃止後・最終区間の廃止前に、一回だけしか行けませんでした。もう廃線祭りがはじまった後であり、普段着の蒲原鉄道を見ることはできず、そこらへんが心残りです。

katsu さんのコメント...

nekosuki.orgさん
コメントありがとうございました。
蒲原鉄道は後で整理してみると、何とも言えない沿線の雰囲気を再認識させられました。私も一回のみの訪問でしたが、その後再訪しなかったのがとても悔やまれます。1968年の訪問後、これほど長く生き延びたとは知りませんでした。