案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年11月18日日曜日

和歌山界隈

御坊臨港鉄道、有田鉄道と非電化小鉄道があった紀伊本線を和歌山市方面へ向かうと野上電鉄、南海和歌山軌道線があった海南駅に着く。駅前で和歌山軌道線に乗って東和歌山に行くと、そこには良き時代の南海貴志川線が走っていた。
こんな和歌山界隈ではいつも東和歌山の駅前旅館に一泊し、朝の東和歌山駅前の光景を撮るのが楽しみであった。

雨降る夕暮れ時の海南駅前.  1964.07.09
駅前の電停には市駅(紀伊本線和歌山市駅)行き電車が待っていた.

海南駅前と和歌山市・東和歌山を結ぶ和歌山軌道線. 1965.08.04

早朝の東和歌山駅前.これから通勤・通学の時間帯を迎える. 1964.07.10

新和歌浦行きの電車.  東和歌山

人も車も閑散とした静かな早朝風景. 北の新地

4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

南海和歌山軌道線、初めての関西撮影旅行の時に行きました。和歌山電軌からの旧形車の青と白塗装がマメラッカーをそのまま塗ったくったみたいだったのと、専用軌道が多かったのが印象に残っています。

katsu さんのコメント...

Cedarさん、
そういえばとてもシンプルなカラーが魅力的でした。
マメラッカーのような色は言い当ててますね。
あの時代はどの地方私鉄でもシンプルなツートンカラーがとても魅力的で独特な田舎臭さを感じます。
海南駅前へ向かう直線専用区間はかなり飛ばしたのでしょう。

匿名 さんのコメント...

はじめまして。
私がまだ乳飲み子の頃、母にオンブされて当時住んでいた西浜から、夕飯を買いに本町二丁目に有った丸正百貨店(廃業)に行くのに、この路面電車を使った、と、聞いた事があります。

katsu さんのコメント...

匿名さん
はじめまして。
返信が遅くなり失礼しました。
当時この路面電車は生活の足として便利に使われていた事と思われます。
今でも路面電車が存続していればきっと生活や観光で便利だと思います。