案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年11月27日土曜日

福島交通軌道線 保原

長岡分岐点から東に4.6Kmのところに保原がある。
この保原駅の先で軌道は南北に分岐し、掛田と梁川へと向かう。
保原は貨物側線もある大きな駅で沢山の客で賑わっていた。



掛田・梁川←  保原駅の貨物側線側ホームが掛田or梁川ゆきのりば。 →福島    1966.12.31

保原駅の貨物側線側ホームの梁川行き。 ↘ 掛田・梁川

掛田・梁川←  保原駅の道路側の福島行き。 ↘ 福島
大晦日のせいか保原の街も道路を歩く人が多い。


貨物の側線が一本。


ホワ10。貨車はどれも軽便並以下の小さな車体に、3'6''軌間台車がアンパランスで面白い。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

大晦日に行きかう人々の足音と馬面電車もどきの路面電車。懐かしい風景が広がりますね。東野鉄道を見てからだと思います。
福島の駅で一晩明かした記憶があります。
青蛙

katsu さんのコメント...

青蛙さん
日記の記録によれば、東野鉄道を訪問した後、国鉄の郡山駅で寝て、朝一の列車で福島へ向かい朝から軌道線を撮り始めています。この帰路に福島交通の鉄道線へ寄っています。